桜島で楽しみたい人と、楽しませたいガイドに
『機会』を作りたい!
と思って活動しています。
鹿児島のシンボル桜島。そこでツアーガイドをする旨田さんに会いにフェリーに乗った。桜島に着くとすぐ目に入ってきたのは新しいターミナルビル。半年前に完成したばかりだという。私たちはそのビルの3Fにある「MINATO CAFÉ」で待ち合わせた。
自然大好き、ゲーム大好き
一緒に原っぱで虫を捕ったり、基地を作ったりして遊んでいた男の子がファミコンを買った。手元の操作で動くテレビ画面に衝撃を受けた。
「パッケージを見ながらキャラクターの絵を描くことにも夢中になりました。とにかくファイナルファンタジーの天野喜孝に近づきたかったですね(笑)」
高校卒業後、アート系の専門学校に進んだ。東京、大阪に行くことができればと、3Dのアニメーターや2Dのグラフィッカーを夢見た時期もあったが、家庭の事情で断念。一方、当時のアルバイトの経験から接客業に向いていると思った旨田さんは携帯や求人誌などの営業職を経て、ゲーム会社の営業にたどり着いた。全部自分の好きなことの詰まった仕事。家電量販店に出向し、当時目新しかったオンラインゲームのデモ、体験、売り場のディスプレイなど販売促進に従事する日々。それは結婚後も続いた。
「天職でした。夫の鹿児島転勤がなければ続けていましたね」
思っていたのと違ったもの
福岡出身の旨田さん。教科書で『桜島は今も噴火を続ける活火山』とか、『桜島大根は世界一大きい』とか、サラ〜と習ったことはあった。でもこっちに来て、桜島を見て感じたんです。『生きている』。もともと人と話すのが好き、自然が好きということもあったが、ガイドになる直接のきっかけは鹿児島市の桜島・錦江湾ジオパーク推進協議会が認定する『ジオガイド』の存在を知ったことだった。有料のガイドを養成する目的で講義や試験が実施された。ガイドに必要な勉強を積んで、環境教育や救命講習の資格も取得した。子育てとの両立にも苦労した。『おめでとうございます!』と渡された認定証は、この上もなく嬉しいものだった。
「これから新しくガイドの世界に扉が開いた、希望に満ちた自分がいました」
しかし、認定証があるだけでガイドの仕事は約束されていなかった。
無いものはつくるの精神
「個人でするガイドでは、お客様の万が一のけがや事故に備えた保険をかけることができなかったんです。なので、NPO法人に自分の企画を持っていったりしました」
同時に、下請けだけでなく独自の仕事ができるには組織をつくることだと悟った旨田さん。ジオパーク認定ガイドである仲間を探した。そして、熱量高めの宙ぶらりんガイドが4人集まった。ここに『桜島ジオサルク』が発足。任意団体ではあるが道は拓けた。
「団体としての規約を作り、そのことで旅行者のための保険をかけることができるようになりました。窓口ができたことで鹿児島市からの観光客の流れも引き受けられますし、通帳も作ることができました(笑)」
暮らしの楽しみと仕事への挑戦
ツアーガイドとして本腰を入れはじめると夫を鹿児島市街地に残し、旨田さんと長男で桜島に越してきた。
「ここに住み始めると、ガイドをしている時間の前にも後ろにも自然の魅力が見つかるんです。ここの夜は天然のプラネタリウムです。海に囲まれていて、高いビルもないし」
畑や草むらでよく遊んでいた子どもの頃にくらべ、今は水、海、潮風がプラスされた。桜島には22もの避難港があって、それぞれの港で違う魚を狙って釣りを楽しんでいる人も多い。
「アラカブが釣れるんですよ。百円の竿で。三枚におろして刺身や天ぷらにしたり、味噌汁に入れたり。桜島のもっと深い部分を、ここに住む人間の実感を伝えたいですね」
火山灰に鳥居が埋まった黒神神社や、山肌に圧倒される湯之平展望台のような定番のガイドルートがあるが、ほかの楽しみ方もプラスしたいと語る旨田さん。ノープランの旅行者や外国人観光客への企画も模索している。
「まだ今の状態では、ふつうにパートとかで働いた方が稼げると思いますが、ゆくゆくはNPOや社団法人として組織を充実させて、ジオサルクならではの企画でジオサルク色を出しつつ、自分たちも稼ぐ、楽しむという仕組みを作っていきたいですね」。
活火山だからこその防災の意識と知識を備えつつ、火山が生み出す恵みと楽しさを旨田さんたちは、いま発信中だ。
取材:2018年10月