九州初の男性歯科衛生士という肩書から、
ぼく自身、門戸を広げる広告塔に
なれればと思っています。
鹿児島市桜ヶ丘の大学病院にやってきた。高校生にとってはセンター試験の会場になる医学部歯学部のキャンパスもある。
その一角にある歯科診療棟に秋山さんは勤務する。
歯医者さん独特の匂いはあるが、やはりそこには大学病院という大きな組織ならではの人の流れと雰囲気が感じられる。
続く不況、取り柄のない自分
家に帰りつくなりランドセルを放り投げて遊びに行くふつうの小学生だった。取り掛かりまでが時間のかかる面倒くさがりの性格だったが、コツコツ勉強はしていた。当時の夢は、『なぜか大蔵省で働くこと(笑)』。中学に上がると母親自身の夢であった『教師』を目指すようになった。一年の浪人生活を経て高知大学理学部へと進学。大学でも教職課程を履修し、夢をかなえる準備をした。同時に一般企業への就活もした。結果、高知県のドラッグストアに入社。働き始めてから一年が経ったころ、地元に暮らす祖母が亡くなった。「ふと、自分の親が亡くなったら、死に目に会えないかもと思ったんです。このままだと」。長男という立場もあった。秋山さんは会社を辞め地元熊本に帰ってきた。それからは臨時職員という形で税務署や法務局で働いた。医療事務も経験した。働きながら資格が必要と感じ、職業訓練校に通い簿記や財務会計などの資格を取ったが「正規雇用がなかなか見つからない中、これといった取り柄もない自分の将来に不安を抱いていました」。職を転々としながら先の道に光を見いだせず、もがいていた時期だった。
熱い志に惹かれて
「母から、行きつけの歯科診療所がスタッフを募集しているという話を聞きました。正社員としての就職先に歯科業界は全く考えていませんでしたが、話だけでもと思い面接に行ったのがきっかけで、ある一人の先生と出会うことができました」。とにかく熱い先生だった。その熱い仕事ぶり、そして熱い志に惹かれていく。歯科助手として働く秋山さんの中に歯科業への興味が沸くのに時間はかからなかった。さらに、その気持ちは資格取得へと向かい、専門学校の受験を決意。28歳の夏のことだった。
歯科に関する資格には歯科技工士と歯科衛生士とがあるが、専門学校のパンフレットを眺めていた秋山さんは「カリキュラムを見て、理科系学部を出ている私には衛生士の方が合っていると考えました。技工士は手先が器用じゃないといけないですし(笑)」しかし、このときはまだ衛生士にほとんど男性がいないことを秋山さんは知らなかった。結果的には多くの方の協力のもと、当時、女子しか入学できなかった鹿児島の専門学校に学則を変更してもらい入学。三年間の課程を修了し、『九州初の男性歯科衛生士』が誕生した。欲してもなかなかもらえない称号を、このとき偶然にも手に入れた。テレビや新聞などマスコミでも話題になったという。
先達者のミッション
歯科医療を体系立てて学んだ秋山さんは、歯科助手時代を過ごした歯科診療所に歯科衛生士として戻ってきた。以前とちがい、患者の口の中を触ることができるため歯科医師のパートナーとして充実したサポートができるようになった。業務範囲も広がった。歯や歯肉の状態の検診や、機械を使って歯石を取ったり、むし歯予防のために歯に薬を塗ったりする予防処置、学校などで歯磨きの方法を教える保健指導も歯科衛生士の仕事だ。さらに、超高齢化社会の今、全人的医療の担い手としてますます社会に必要とされている。
専門学校時代の実習先であった鹿大病院に職場を移してからは、重篤な患者が増え、さらに多くの症例をみることになった。いざ、診療の現場にたつと緊張から手に汗握ることもある。失敗も数多くしてきた。たびたび指導も受けた。しかし、「失敗しないと覚えない。だから失敗はしてもいいと思っています。でも、それをいちいち気にしてへこまない。なるべく早く前向きに気持ちを切り替えたほうが人生得だと自分に言い聞かせながら過ごしています」。職場に男性がいることで力仕事はもちろん、異性に緊張する男性患者にとってプラスな面もある。一方、秋山さんは女性に囲まれる職場で女性独特の気配りにハッとさせられることも多いという。「技術も経験もまだまだ未熟ですが、自分が広告塔となって男性の衛生士を増やしたい」。そんな使命感とも思える展望を語る先達者は、『女性の職業』に風穴を開け、続く後輩たちへと道を拓いていく。
取材:2016年5月