「人の命を助ける」
という崇高な使命を任務としており、
この職業を誇りに思います。
2016年4月に起きた熊本大地震。地震発生の1時間後には、鹿児島県から緊急消防援助隊が編成され救援に向かっていた。
今日取材に応じていただいた大山さんも、第三次派遣隊の鹿児島県大隊長として消防車33台・隊員117名を率いて被災地に赴き救援活動に従事した。
それでも前に進む
消防士として採用されると鹿児島県消防学校で半年間の共同生活が始まる。卒業後、各消防署に配属されてからも仮眠の時間を含めた24時間勤務の中で同じ屋根の下、寝食を共にする。ホースやロープを使った日々の訓練や、火災現場を再現した模擬家屋で行われる消火訓練など、チームを組み呼吸を合わせる。そんな濃い時間をすごしたもの同士が災害現場の厳しい局面と向き合う。一刻を争う危険な状況では、本物のチームワークしか使い物にならない。救い出したくてもかなわないときもある。幼い子の焼死体など目を覆いたくなる惨状もある。そんな仕事から戻ると立ち直れないような虚脱感にさいなまれ、PTSDにかかる隊員もいる。「それでも前に進まないといけないですから。仕事場で集まってトラウマや大きなストレスになるものを心に溜めずに、それぞれの思いを言葉にします。ディスカッションしてメンタルのケアをすることもありますね。チームのメンバーとは家族と過ごす時間より長かったかもしれません」
時間との戦い
消防官は高卒でも大卒でも入口は全員同じ消防士という階級から始まる。そこから昇任試験や面接などを経て、消防士長・消防司令補・消防司令・消防司令長…と階級が上がっていく。大山さんの現在の階級をたずねると胸のバッジを指して「この星の数が消防司令長という立場を表しています。それぞれの階級で任務と責任の所在が決まっていますが、消防司令長以上が管理職に該当し昇任試験を行う側にもなります。管理職となった今では、隊員一人一人の性格や個性を見極めてチーム編成を考えることもありますね」。災害現場に出動するときは直接消火活動や人命救助にあたることはなく、複数の隊を掌握して指揮命令にあたるという。とりわけ火災現場においては、隊員の安全を考えた消火活動・救助活動ができる活動方針を明確に示すことが大山さんの一番の仕事だ。逐一現場の情報を把握し、瞬時に判断を下す。「隊員にも家族がいます。彼らを死なせたら私の責任です。煙は充満しているが炎は小さくくすぶっているように見える現場もあります。でもそれは空気がなかっただけで、そこに窓を開けたりすると爆発するかのように一気に燃え上がる危険もあります。建物内に進入し活動できるかの判断を誤ると隊員が怪我をすることになります」。現場は想像以上のプレッシャーと、そして時間との戦いなのだ。
自分も人の役に立つ仕事がしたい
実は取材依頼の電話のとき「今月は奇数日が勤務日だから偶数日の夕方なら大丈夫です」という大山さんからの返答があった。奇数、偶数とは?取材当日、話を聞いて分かったのは、まる一日24時間勤務して、まる一日休むという勤務体制。「私たちはチームで動きますからすべてのスタッフが奇数日と偶数日に分かれて2交代制で勤務するんです」。24時間365日動いている職場なのだとあらためて思う。水害でも地震でもそこに守るべき市民の生命があるかぎり消防官は出動する。あの8・6水害の夜、非番だった大山さんにも緊急招集がかかった。三日三晩土砂崩れ現場での救出活動、そして捜索活動が続いた。熊本大地震など大きな災害では警察や自衛隊とも協同する。指揮系統が混乱しないように、そして作業が効率的に進むように、それぞれのトップ同士が即座に持ち場を話し合い、分担を決めていくのだという。オレンジ色の隊服に身を包み、子供たちには戦隊ヒーローにも似た憧れの消防官。防火や避難訓練の指導などの「予防」と災害発生の対応である「警防」という二つの仕事を全うする。消防音楽隊に入り初めてホルンにも挑戦した大山さん。おはら祭りに参加し、日常の市民とも接する。公務員だった父の姿に「自分も将来は人の役に立つ仕事がしたい」と、高校の時点で大学進学は選択しなかった。消防官となって幾度となく公に奉仕する厳しさと喜びをその身に感じてきたはずだ。温和な語り口と笑顔の間に時折みせるきりっとした表情にその誠実さが映る。この取材を通して公務とはいかなるものかをあらためて感じる一日となった。
取材:2016年11月