"仕事って、自分を成長させてくれるものだと
思うんです。人生の修業ですね"
みなさんは『ピンクリボン』をご存知ですか。最近、バスやタクシー、病院などでよく目にするかわいいリボンのデザインがある。今回、乳腺外科医で、『NPOピンクリボンかごしま』の理事も務める金子さんにお話を伺った。
ピンク色のリボンとマンモグラフィ検診
「乳がんで家族を亡くされたアメリカの人が、自分たちと同じ苦しみにあわないようにという思いで始めたものです。ピンクリボンは乳がん撲滅のための運動ですが、それを推進する団体は世界各地、日本各地にあるんですよ」街角でそのデザインをよく目にしていたため、どこか頭に引っかかっていた。すると金子さんは、まさにそれが狙いなのだという表情を浮かべた。女性がそのデザインに『これ何?』と思う。何度となく目に触れるうちに、それが乳がん撲滅運動のシンボルだと知る。そして、その病気に少し関心をもつ。それが一番、乳がん死亡の減少につながるというのだ。「私が所属する団体でも毎年10月をピンクリボン月間として、鹿児島全域で講演や啓発活動を行っています。昨年は、乳がん手術を経験したタレントの山田邦子さんを招いて鹿屋で講演会を開きました」
日本人女性の場合、40代で乳がん発症率が急激に増加する。それでも乳がん検診率は20%。欧米の80%に比べ驚くほど低い。検診による早期発見で助かることが多いため、欧米ではその死亡率は減少しているが、日本は上昇傾向にある。「乳がんの段階はステージ0から4までの段階があり、ステージ4では、すでに他の臓器に転移している確率が高く、死に至るケースも多いです。一方、ステージの0~1は、自覚症状が少なく、マンモグラフィという乳房をはさんで撮るレントゲンを用いた検査や乳房の超音波で発見されることが多く、完治する割合は90%から99%と非常に高くなります」だからこそ金子さんは、検診の重要性を訴え、啓発活動に力を注ぐ。
それまでの道のり
中学の頃、将来の仕事を考えたことがあった。自分がしたいことをイメージしてみた。子供の頃から飛行機に乗るのが大好きで、空から眺める景色が好きだった。自分の力で大空に乗り出すパイロットに憧れたのだ。高1の頃には自衛隊や航空保安大学校への進学を考えていたが、視力が悪く断念。同じく自分の力で道を切り開くことのできる医業の道を志す。高2の時だった。その後、医学部へ進学。在学中に外科系へ進む気持ちを固めていたものの、一般外科系、婦人外科系の選択で迷いがあった。「一般外科に所属し、肝臓がんなど長時間の手術を継続的に行うのは女性の体力では難しいという実感がありました。かといって婦人外科の臨床では、壮絶な出産シーンを目の当たりにし気後れする自分の不適性を感じていました」卒業後、大学病院へ配属。そこでの1年目が金子さんの医師としての最悪かつ最良の1年となる。「後にも先にもこんなきついと感じたことはなかったです。緊張の連続の中、朝から晩まで休みもなく、土日もない。先生からは基礎を叩き込まれ、時には怒鳴られ、とにかく鍛えられました。落ち込む暇もなかったですが(笑)。でもそのおかげで、どんなきついことも乗り切れる自信がつきました」2年目は癌研究所の附属病院(現 がん研有明病院)に配属。日本で一番多くの乳がんの手術を行う病院だった。「ここでの経験で迷いは吹っ切れましたね。女性にもできる外科系、かつ女性たちに利益をもたらすフィールド。その答えは乳腺外科でした」道筋が定まった金子さん。数年後再び、自ら志願して癌研究会癌研究所(現 がん研究会がん研究所)の門をたたく。最先端の研究所で乳腺外科医としての知識とスキルを貪欲に求めた。実家の病院で前任の医師が退職し、やむなく鹿児島へ戻るが、この地での診療が自分に与えられた好機と捉え、前進を続けた。
生きる姿
非常に重篤な乳がんであることを告知せざるをえない場面がある。患者の死と向き合うことは医師の宿命ともいえる。「今、医療の世界では本人への告知が大きな流れです。残された命をどうやって生きていくか、それは本人が決めていくべきものだと思います。告知を受けるショックははかりしれません。とりわけ、家族や友人など、周りの支えのない方などは、なかなか立ち直れません。それでも、殆どの方がそれを受けいれ、乗り越えていきます。その前向きな姿勢には勇気をもらいますし、1分1秒を懸命に生きる姿に胸を打たれます。こちらの方が学ばせてもらうことが多いですね」
仕事観
「仕事って、起きている時間のほとんどを占めていますよね。いやいやながらやるのも、自分のものにしていくのも自分次第です。どうせやるなら自分の考え方を成長させるもの、人間性を高めてくれるものにしたいという気持ちがあります。人生の修業ですね。何でも一生懸命、何かをやり続けることが大切だと思います。そうしてこそ、つらい時、いきづまった時に自分という人間がどう考えるか分かるものですよね」日々、人の生命と向き合い、外科医の激務を日常としている金子さん。その中にも自分を見つめ、向かうべき道を見据える姿があった。
取材 2012年6月 No.7 しごとびと