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カラーコンサルタント

色でつながる

江良 喜代子(えら きよこ)

"色が与える心理的作用っていっぱいあります。
人と色の間にある意味を伝えていけたらいいですね"

「環境と人にやさしい色」をモットーに、建築物の色彩計画をはじめ、商品開発、販売戦略のカラーコンサルティングなども手がける。最近は、行政での景観アドバイザーも務め、活躍の場を広げている江良さんだが、いったいどんなきっかけでこの仕事に就き、どんな仕事をしているのだろう。

色でつながる

30代を迎える頃の江良さんは、人生の変わり目を迎え、前にも後ろにも進めないような境地の中にいたという。そんなある日、『色をビジネスとする人』の記事が目に留まった。『これだ!これしかない!』確信に似た思いがわき上がった。「30歳を過ぎようとしていました。年齢と実績が正当に評価される仕事を探していたんです。自分の腕で生きていきたいと思っていました。そして決め手となったのがその記事の中の『医療福祉の分野でも役立つ』というコメントだった。「私の兄はラグビーの試合中の怪我で、頚椎(けいつい)損傷になり首から下はほとんど動かない寝たきり状態になっていました。ふと、ふだんの会話で、服の色、ペンの色、空の色など目に入るもので兄がいろんなことを感じていることに気づきました。自ら動くことのできない兄にとって情報を入手するのは視覚=色だと。兄のためにも色の勉強をしたいと強く思いましたね」

福岡 修業時代

福岡のスクールに通い勉強を始めた。アルバイトで生活費を稼ぎながらの毎日だった。1年後、資格試験には受かったが、とても仕事ができる知識ではなかった。同じ福岡にあったカラーコンサルティングオフィスで本格的に色彩調和、高齢視、カラーマーケティングなどを修得。その後、オフィスの代表から講師のチャンスをもらう。「そこにはプロのインテリアコーディネーターや大手企業のデザインチームで働く人なども学びに来ていました。気合を入れないとまずいと思いましたね。派遣社員の職もやめ退路を断ちました。実際、はじめのうちは失敗ばかりでしたが(笑)」

色にできること

色にできること

福岡で5年以上の下積みを重ね、鹿児島で独立開業。コンサルティング業務がメインとなる。江良さんがこの仕事でやっていけるという自信につながった出来事がある。それはカット野菜工場の内部色彩計画だった。働いているのはほとんどが女性。冬場にも冷水を扱い、温度管理、衛生管理が厳重な工場だ。もっと女性にとって働きやすく、働く人たちが周りの人に自慢できるような職場環境にしたいという会社の思いがあり、江良さんに白羽の矢が立った。「プランを考えるうち、いつしか工場で働く人やクライアントの気持ちより、工期や作業効率の方に目が向いていました。結果、無難なプランをプレゼンすることになったんです。後日、社長から『あれが江良君の100%かね?』そう言われたとき目が覚めました」
その日からカラープランを一から練り直した。働く人にとって気持ちよく、少しでも冷たさを感じさせず、清潔。いくつものキーワードを一つひとつクリアさせる。色には安全性の情報伝達機能もあるという。熱湯と水と冷水、その他の液体、そういったものを誤操作しないよう色で伝えるのだ。ゾーニング(住み分け)のために色合いを変える。動線となる空間には連続性をもたせるための工夫も。「できあがったプランで工事の現場とは案の定もめました(笑)でも一生懸命説明したんです。色の意味を。そうするうち、お互い妥協点も見出せるようになりましたね」江良さんはこの経験をとても大切にしている。プロとして大切なのは120%の力をだすこと、感性でなくプロの技術と経験で提案できることだという。「仕事ですから様々な制限はあります。遠慮せず提案しますが、ごり押しはしません」

仕事の土台

色のビジネスというのは今もメジャーな職種ではない。ましてや当時、仕事として「もの」になるのか不安はなかったのだろうか。「全く不安がなかったと言ったら嘘になりますが、私には土台が何もなかったですし、失うものなどなかったですから。何をやりたいか、自分にできることは何か。それが私の仕事の決め方でした。鹿児島で知られていないなら、私が広げればいい(笑)。私ってバカなのよ」そう笑い飛ばす江良さん。彼女は土台がなかったというが、そうだろうか。『すべての学びと経験は無駄にならない』とも彼女は言った。その言葉は、小さい頃からエレクトーンで養った音感、マスコミの世界で培ったプレゼン能力、色の修業中の経験。それら全てが仕事の土台となっていることを示唆していた。

era色彩計画

取材 2012年6月 No.7 しごとびと