"川にメダカを呼び戻そう!から始まった
『メダカの学校』"
国内にはたくさんのNPO法人という団体がある。鹿児島にも『メダカの学校かごしま』という一風変わった名称の団体がある。その発起人の一人である久本勝紘さんにお話を聞きいてみた。
甲突川にメダカを呼び戻そう
21年前、フルート奏者・池田博幸さんの「甲突川にメダカを呼び戻そう」という南日本新聞『ひろば欄』への投稿をきっかけに、『メダカの学校』は誕生した。
9年間におよぶドイツでの音楽活動を終えて帰郷していた池田さんは夏の昼下がり、久しぶりに甲突川を訪れた。すると、子どものころ岸辺のあちこちに群れていたメダカの姿が消えていた。ドイツ滞在中に、国を挙げた自然環境保護の取り組みを見聞きしていた池田さんは、甲突川の危機を感じて、『ひろば欄』へ投稿する。ほどなく、新聞社の記者がやって来た。取材を進めるうちに池田さんの趣旨と構想に賛同し意気投合、その場で入会する。久本さんである。「ミイラ取りがミイラになったんです(笑)」。同じような数人が池田さんのもとに集まり『メダカの学校』が結成された。
メダカ救出作戦 始動!
それぞれのメンバーが自宅でメダカを飼育し繁殖させながら、各地の川や池などで生息状況の観察を続けた。時には、雨期に住宅団地の調整池へ流されて取り残された街中のメダカを救出、また稲刈り後の干上がった水路に孤立している群れを本流の川へ戻した。
かたわら、活動を広報する写真展や『メダカのコンサート』を各地で開き、全ての生命の根源である「きれいな水―それを育む緑―空気」を守ることの大切さを訴えた。その一つひとつが新聞、テレビ、雑誌などで取り上げられるようになる。その度に入会者が相次ぎ、3年ほどで400人を超す賛同の輪が県内外へ広がった。
当初の様子を久本さんは、「池田さんは、メダカを入り口に水質、大気、森林保全そしてビオトープなど広い視野の構想を練っていました。もちろん大半の会員はメダカへの純粋な郷愁であったり、根っから川遊びの好きないわゆる『川がき』であり、各人各様のスタイルで楽しんでいました」と、振り返る。
メダカの飼育そのものは、水槽の底に砂を敷き水草を入れてやる程度。ただ繁殖期になると、水草に生みつけた卵や孵化した稚魚を他のメダカが食べてしまうので、この段階では別の水槽に移してやることが肝要だ。繁殖したり、救出した個体を川に戻すときも細心の注意を要する。一見おなじようにみえるメダカだが、鹿児島県内だけでも薩摩型、大隅型、琉球型と遺伝子が異なる。しかも同じ地域内であっても河川ごとに遺伝子が微妙に異なると言われており、学術的な立場から別の川や池などで獲ったメダカを安易に放流するわけにはいかないのだ。
広がれ田んぼビオトープ
いま活動の中心は、休耕田を活用した生き物たちの楽園「田んぼビオトープ」づくりだ。ビオトープとは生物の生息空間を指す広大な概念だが、メダカの学校が目ざしている田んぼビオトープは、相性のいい生物たちが仲良く暮らせる空間という程度のものだ。
メダカの学名はオリジアス ラティペス。「稲田に生息する幅広いひれをもつ魚」という意味だそうだ。このことからも稲作(水田)という環境のもとで発達した多様な生態系のシンボルであることが分かる。
その水田が農山村の過疎化で耕作されずに荒れている。水田跡には雑草や竹が群生しており、メダカはおろかここで代を重ねてきたドジョウやゲンゴロウなど多くの水棲(すいせい)動物が姿を消した。もういちど田んぼに水をみなぎらせ、多くの生き物たちに帰ってきてもらおう―それが田んぼビオトープ作戦の最終目標だという。「会員と地元の人だけでなく市街地の人々にも加わってほしいですね。それに、中高生など多くの若者に水路掘りや草刈りなどを体験してもらいたい」そう語る久本さん。『メダカの学校』を通じて、色々な人たちと交流しながら古里再生、自然環境など郷土の未来を考える機会にしてほしい、と呼びかけている。
NPO法人 メダカの学校かごしま
事務局:鹿児島市永吉2丁目32-5
TEL/FAX:099-257-8143
▽校 長 松本清志
▽理事長 久本勝紘
▽事務局長 池田博幸
取材 2011年9月 No.5 しごとびと