"天気が悪い、政治が悪い、と文句を言うのではなく
解決策を提起できる人間でありたい"
大きなイチョウの古木、古民家風の家屋、薪(まき)の燃える香ばしい煙、雑木林の中の縄ブランコ・・・。日帰りで田舎ぐらしを体験できる指宿市の「かえるの学校」は、いま人気上昇中の体験型観光スポットだ。
かえるの学校のおっちゃん。
「ぼくのことは『かえるの学校のおっちゃん』って呼んでください」。この日、福岡県春日市からやって来た中学二年生四十六名を前に、「かえるの学校」校長の湯ノ口貴之さんは開校一番にそう言った。そして、一段高い所にあるだだっ広い畑に子どもたちを誘導すると、学校の説明を始めた。「この畑では四種類のカエルが住める生態系を作っています。クモやハチなどの虫もいます。でも人間が攻撃しない限り、彼らは人間を攻撃しないから安心してください」。湯ノ口さんは、自然と人は共に生きられるということを、子どもたちにさりげなく伝えている。
この日、中学生たちがチャレンジする体験メニューは、ピザと黒豚ハンバーガーづくり。自分たちで野菜を収穫するところからスタートだ。二千六百坪という広大な敷地内の畑にはキャベツ、ピーマン、トマト、ナス、人参、スナップエンドウ、ズッキーニ、里芋などあらゆる野菜がちりばめられるように植えられている。「おっちゃん、トマトとっていい?」「おっちゃん、ホウレンソウどこ?」「これって里芋の葉っぱ? トトロが雨の日に差してたよね!」。最初、緊張の面持ちだった中学生たちの気持ちがほぐれていくのが伝わってくる。土を触り、野菜をとる喜びに、あちこちで歓声が上がる。
農作業を通じて伝えたいこと。
湯ノ口さんの本職は農業。指宿の特産であるオクラやソラマメ、スナップエンドウを減農薬で育て、加工、流通、販売までを一貫して手がけている。収穫した作物は市場へ卸すだけではなく、インターネットを通じて注文のあったお宅へ直送もする。新鮮なうちに食卓へ届けられるところが直売の強みだ。
そのかたわらで、この日のような農業体験の受け入れを積極的に行っているのは、農業と食べること、生きることが密接に関係していることを一人でも多くの人に伝えたいから。実際に身体を動かしてもらって、なにかを感じてほしいのだ。「家の中でテレビを観ているだけでは受動的。体験する中で、自分の頭でものを考えられる人になってほしいんです」。それが湯ノ口さんの考える食育なのである。
サラリーマンを経て農業人へ。
指宿の農家で生まれ育った湯ノ口さん。子どもの頃は、両親を手伝って農作業をしているのが格好わるいと、農作業中に友達が通ると顔を隠していた。鹿児島市内の大学を卒業した後は、バーテンダーを経て会社員として働いた。街での暮らしは充実していたが、早朝から深夜までの仕事に疲れ果て、転職を考えた時「選択肢の中に農業が浮かび上がってきた」。農業が、自分を育んでくれた原点であったことに気づいた時だった。当時交際中で、後に結婚することになるクニ子さんの後押しも大きな力になった。
「天候や行政だのみではなく、自分たちで考え、自分たちの足で立つ農業をやりたい」。事業としてもきちんと成り立つことを目指し、平成二十一年「株式会社アグリスタイル」を設立。湯ノ口さん夫妻のほか若いスタッフを雇用する企業体として農業を実践してきた。経験を積み、独立して提携農家となったスタッフもいる。「農業で食べていける、ということを若い世代に見せることがわれわれの役目だと思うんです」。将来の夢は「農業を子どもの憧れの職業にすること」。
修学旅行や体験学習の受け入れも、農業の魅力を伝える手段の一つ。「おっちゃ~ん。また来るよ」「おっちゃんと過ごした今日のことは一生忘れません!」。来た時より何倍も元気になって、笑顔で帰ってゆく子どもたちを見送る湯ノ口さんの眼差しには、希望が光っていた。
取材 2013年11月 No.13 しごとびと