"救助してあげているという気持ちはありません。
生きようと頑張っている人に手を貸しに行くのです"
日本の海は11の区域に分けて守られている。鹿児島の海を守るのは第十管区海上保安本部。金子さんはその組織の一つ、鹿児島航空基地に機動救難士として配属されている。映画『海猿』の主人公、仙崎もこの任務だ。
白い船。白い雪。
金子さんのそばにはいつも海があった。幼い頃から港に浮かぶ大きな白い船に憧れていた。奄美海上保安部の巡視船である。高校の進路相談では多くの生徒が大学を志望する中、海上保安官の話ばかりする金子さんに先生は面食らった。「もう自分で調べあげていましたね。入学試験や寮のこと、それに、先生が初めて聞くような詳しい話もしていたと思います(笑)」2度目の挑戦で晴れて海上保安学校に合格し航海科に入学。さながら体育会系の強化合宿に勉強合宿が詰め込まれたような全寮制の集団生活が始まった。「全国から集まってくる言葉も習慣も違う仲間との生活は新鮮でした。勉強も実習も厳しかった分だけ同期とは仲良くなりましたね。学校のあった京都の舞鶴で、積もった雪を初めて見たんです。大はしゃぎして雪かきする私を東北や北海道の友だちが変な目で見ていたのを覚えています(笑)」
いざ『特殊救難隊』へ
卒業後、和歌山県田辺が初任地となり、巡視船『みなべ』に乗船するや、いきなり3か月の船内居住が始まった。その和歌山時代、金子さんは自身の仕事人生を大きく左右することになる研修にのぞんでいた。潜水士になるための特訓である。潜水士は海上保安官12800名のうち約1%の120人しかいない。約20キロのボンベを背負いながらの潜水業務は強靭な体力と精神力、体質的な適正も必要とされる。苛酷な研修を乗り越え『潜水士』となり、さらに『救急救命士』の資格を取得。そして全国に36人しかいない『特殊救難隊』の一員に抜擢される。海上保安庁の救助隊員のエリート部隊である。「24時間体制で羽田特殊救難基地に待機して、特殊な海難事故、例えば危険物を積んだ船が火災を起こした場合などに出動します。大きな海の事故があれば日本の海域全管区どこへでもすぐに羽田から飛んでいきます」その後、昇任試験に合格し、幹部職員として全国を渡り歩くことになる。
降下地点よし!
現在配属されている鹿児島航空基地では『機動救難士』として勤務している金子さん。『機動救難士』は、とくにヘリコプターと連携した吊上げ救助など迅速な人命救助が主な仕事だ。SOSで海上保安本部に通報される釣り人やサーファーなどの海浜事故、一般の船舶や漁船の海難などの連絡をうけ、ヘリコプターに乗り込み、現場へ急行する。鹿児島を含め全国8箇所の航空基地にそれぞれ9名、合計72名が配置されている。この日、訓練の様子をみせてもらった。4階のビルの屋上にオレンジ色の制服の機動救難士4名が集まる。金子さんが屋上の縁ぎわに立ち、身体に命綱のようなものをまわす。『降下地点よし! 降下ロープよし!』流れるような動きの中にカチッ、カチッと確実な金属音が響く。『ロックよし、ピンよし、安全環よし。ロープ詰める。振り出し準備よし!』するとロープで宙吊りの状態になり再び一連の確認動作。直後、『降下!』の号令とともに一瞬で地面へと降下した。本番はそこに転覆した船や遭難者のいる海面なのだ。
「駆けつけた時には放心状態の方もいますし、ウィンチが巻きつき腕が切断された状態で助けを待つ男性もいました。応急処置をしながら、状態が落ち着いていれば雑談もするんですよ。『ヘリコプターには初めて乗りましたか?結構音がうるさいでしょ』、元日に救助を行った要救助者には『見てください。初日の出ですよ!』そんな雑談をすると緊張がとけて、落ち着きを取り戻してくれるんです」余裕のなかった駆け出しの頃、先輩たちの救助活動に学んだことだった。
『知る』のではなく危険を『感じる』
仕事に怖さを感じなくなると逆に危険だという。「つねに自然相手の仕事ですから、2次災害の危険も高くなります。教えたり教わったりすることには限界があります。危険を知るというより瞬時に感じとらなければいけません」海難事故の救助といえば、ヘリコプターから降下してロープで吊り上げるシーンが目に浮かぶ。「派手に見えますが、それは現場到着の一つの手段でしかないんです」その前後でさまざまな救助活動、救命処置が続いている。「一番頑張っているのは怪我をして痛い中、狭くて暗い船の中、生きようと頑張っている人たちです。自分たちには救助してあげている意識はありません。頑張っている人たちに手を貸しに行くのです」救助隊員としての出動件数150回以上、救助人員は80名以上に及ぶ。しかし、光と影は背中合わせだ。遺体をさがし引き上げなければならないこともある。今日ここで居合わせた男たちに共通するもの。それは自然を畏れ、それでも力を合わせて挑もうとする者たちのもつ誠実さではないのだろうか。
取材 2013年9月 No.12 しごとびと