"離島から運んだ妊婦さんに無事赤ちゃんが
生まれたと聞いた時などは嬉しいですね"
平成23年から鹿児島市立病院が実施主体となって始まったドクターヘリによる医療サービス。すでに出動回数は800回を超える。そのフライトを委託されている会社に勤務する大塚さん。報道取材などのフライト業務に加えドクターヘリの操縦士でもある。
一変した生活
夜空を見上げ、チカチカ点滅する飛行機のライトを見ていた。『上から見たらどんな景色なんだろう』少年の心にそんな思いが浮かんだ。高校生になった大塚さんは進路相談で、ボソッと先生に言った『パイロットになりたい』と。「先生は色々調べてくれたと思います。勉強が苦手で、大学進学は頭になかったんです」そこから一気に『しごとびと』の世界へと大きく舵をとる。進学先の日本航空大学校での話だ。ライセンスの取得には国家試験に合格しなければならない。初めて本気の勉強が始まった。飛行機のしくみ、航空工学、航空気象、通信など試験範囲は多岐にわたった。実技もある。空中操作、離発着の訓練、失速状態から回復する操作の訓練、さらに緊急操作など、どんどん難易度が上がっていった。1回や2回でうまくいくものではない。飛行教官の指示のもと、失敗を何度も何度も繰り返しながら乗り越えていくしかなかった。
ホバリングに恐怖を感じた
最初にライセンスを取得したのは通常の飛行機の免許。しかし、卒業時、オイルショックの影響で不景気となり、民間飛行機のパイロットは就職難になった。大塚さんはキャリアの幅を広げるため、単身アメリカに渡り、フロリダ州の飛行学校に入学。ヘリコプターの操縦訓練を受けた。ヘリの操縦士は、その飛行時間数、経験年数に応じてできる仕事が異なる。まずは農薬散布や空撮のための飛行。次は同乗者を伴う報道取材や遊覧飛行。さらに物資輸送の飛行には物を吊って下ろす難しさが加わる。ドクターヘリのパイロットには、2000時間以上の経験、洋上や山岳地帯での特殊飛行の経験や航空機用の無線のライセンスを取得する必要もある。「飛行機の免許を取得してから、ヘリコプター免許をとるのが普通です。二機種とも上昇降下、水平直線、計器の見方など類似していますが、大きな違いもあります。飛行機は速度がなければ飛べませんが、ヘリは対気速度ゼロでも飛行出来ます。いわゆるホバリングのことですが、最初はそこに一番恐怖を感じました。しかし、これができないとヘリコプターパイロットとは言えません」空中の一点で留まるには両手両足を使い、3つの舵の細かな同時操作が必要となる。高高度・高温時・重重量時でしかも追い風のときは至難の業だ。
相棒 ウエストランドアグスタA109 SP
消防署に入る119番の後、市立病院の専門員の判断でドクターヘリの要請となる。鹿児島駅近くの浜町ヘリポートに待機し、通称アグスタSPとともに出動要請を待つ。「この1機で鹿児島南北300kmをカバーして います。離島の多い鹿児島には速度など性能の面で一番向いている機種だと思います」時速310kmのアグスタSPは、西は甑島、東は志布志、南は枕崎方面までわずか15分で到達する。現場に最も近いヘリポート(ランデブーポイント)へと着陸。そこで地元の救急車で搬送された急患を乗せ、鹿児島市へ戻る。大塚さんたちにとって最も手ごわい相手は天候だという。「基本的には雲の高さや霧などによる視界の程度をみて飛べるかどうか判断します。朝からずっとウェザーニュース社から送られる気象情報を見ています」
エンジンスタート
「ドクターヘリは私たち運航スタッフだけでなく、各地域の消防、警察、病院、自治体の関係部署、自衛隊・鹿児島空港の管制などの協力があってはじめて運航できます。それに恥じない仕事をしなければ」と大塚さんは表情を引き締めた。つねに肝に銘じている言葉が二つある。昔、全日空の飛行時間2万時間のパイロットが言った「上手い操縦より確実な操縦を」。そして航空工学の教科書の最初に書いてあった「安全は、基本を守ることから始まる」。ベテランになればなるほど、この言葉の重みを感じるという。そのときだった。『ドクターヘリ、エンジンスタート』 無線の声がけたたましく響いた。それまで穏やかだった大塚さんの表情が一変する。スタッフもそれぞれの持ち場へと急ぐ。ものの3分も経っただ ろうか。サイ レンとともに市立病院からラピッドカーが到着。準備の整った大塚さんと整備士が待つドクターヘリにフライトドクター、フライトナースが走り込 む。音と風と を撒き散らして北へと飛び立つ。それはあっという間の出来事だった。
取材 2013年2月 No.10 しごとびと