木は立っている状態が最強。人の手でその強さを
どれだけ保てるかが価値につながります。
訪れたのは大きな屋根が特徴的な一軒家。
中に入ると床も壁も柱も天井も、見渡す限りの木。
新築の木の香りとはちょっと違う、森のような澄んだ匂いが漂う。
そんな佐藤さんの自宅兼モデルハウスで、この家に同居する猫たちを傍らにして話を聞くことになった。
父の挑戦
「父は息子の私に会社を継がせる気はなかったと思います。家業に先細りの感があったのかもしれません。大工はいいぞ、とか、あんま師もいいぞとかよく言っていました。とにかく手に職をつけろってことだったと思います」。父親の会社は木材加工業者向けの機械や刃物を販売するディーラーだった。佐藤さんが大学在学中のこと、ドイツハノーバーで開かれる機械展にいっしょに来ないかと父から誘われた。「父が仕事をしている現場を目の当たりにしたのは初めてでした。それ以降ですね、父と仕事の話をよくするようになったのは」。一方で父親は大きなチャレンジに挑み始めていた。きっかけとなったのはモミの木。その白さが特徴だが、製品にするには何かと手間のかかる木だった。それを内装材として床や壁に使おうというのだ。当時「誰も手をつけていないモミの木だったらメーカーという立場で新しい市場も開拓できる。これなら会社を息子に託せる」。先をみすえた父親の挑戦だった
人の手でよしあしが変わる
大学を卒業後、自社工場の作業員としてあらゆる持ち場を経験し、すべての加工方法を覚えた。丸太だったモミの木は大雑把な板の状態で佐藤さんの工場へ入ってくる。加工工程の中で、とくにこだわるのが乾燥作業。「機械で乾燥させるより手間はかかるし場所もとりますが、自然乾燥させると、もともと木が自分を守るためにもっている成分が半永久的に残ります。カビにも強くなるんです。モミの木は昔からそうめんの木箱やかまぼこの板にも使われています」。室内の湿気を調節し、消臭や防虫の効果がでるのも人が手間をかけることで引き出せるのだ。工場で経験を積んだあと、佐藤さんは全国を営業で駆け巡ることになる。自社のモミの壁材、床材はすでに製品化していた。最初に飛び込んだのは大阪の街。「おまえは何もしゃべらなくていい。俺の横にいるだけでいい」父は言ったが、それは2回だけ。3つ目の営業先からは1人だった。「うまくできるわけありません。でもやるしかなったんです。自分流の、手探りです」。試行錯誤の営業経験で顧客との交渉に必要なものを痛感し、工場では自社の商品を伝えるに足る知識を得た。メーカー部門が軌道にのりかけた頃、父が他界しその遺志を継いだ。
何でも売るのはプロではない
実体験を伝え、うそを言わないことを仕事のベースにおく佐藤さん。取引先の工務店が開く勉強会に講師として参加してはモミの特徴を説明する。「直接お客様の顔がみえる範囲で仕事をしたいですね。大きなハウスメーカーだと伝言ゲームみたいに少しずつこちらの伝えたいニュアンスが変わっていくと思うんです。自分が良いと思ったものを自分の責任で売りたいですね。お客様の要望に合わせて何でも売るのはプロではありません。欲しいものを寄せ集めた家より、家族構成や生活スタイルから、その人に必要なものを提案したり、何気ない世間話や趣味から、優先されるものを具体化してみせたりすることが大事。私たちの売るものはお客様の暮らす家の一部なので、百年、二百年と続く会社にしたいですね」。佐藤さんは自宅をモデルルームとし、子どもたちや猫と暮らすありのままの生活をみせる。そのなかに木の特性がみえてくる。
つなぐバトン
モミの木はドイツから輸入している。それは質を考えての選択だ。毎年冬には木そのものを見るためドイツへ行く。森を見て、丸太をみる。「モミの木といえばクリスマスツリーのイメージですが、実際は40mにもなる大木です。戦前は日本全国で見ることができて、霧島はモミの木の多い山だったそうです。父の夢は霧島をドイツのように自然に落ちた種から育つ実生の自然林に戻すことだったし、私のこれからの目標です」。木に魅せられた人が、その魅力を広め、仕事とし、未来へと残そうとしている。そのバトンがたしかに次に渡るまで。
取材:2015年5月