手話ができる人を増やしたいですね。
手話が広まれば、
次に手話を通して何ができるかを
考える人が増えると思うから
ニュースなどで手話をする人が画面の一部に映っているのを見たことがある人は多いはずだ。
けれど、手話通訳士の試験があることや、通訳士の活動の場が多いことを知る人は少ない。今回の『しごとびと』は、言語の一つ、手話を司るスペシャリスト、鈴木さんにインタビューをこころみた。
聴覚障害者の数県内で一万人以上
現在、聞こえの不自由な人の数は鹿児島県で一万人を越える。うち40%弱が手話を使っている。子どものときに音声言語を習得した後なら、聞こえなくなっても多くの人は相手の言葉を理解しうる。また、難聴者と呼ばれる人の多くは補聴器などで聴力を補う。それに対し、ろう(あ)者は音声言語を習得する前に失聴した人で、手話を第一言語としている人がほとんどだ。
「今、鹿児島県で手話通訳士の資格をもっている人が32名です。手話通訳者は70名くらいだと思います。手話奉仕員講座を受講・修了された方はもっとたくさんいらっしゃいます」。講習会で、入門・基礎コースを経たのち、3年の養成課程で応用・実践を学び、その後、年一回実施される全国統一試験に合格してやっと登録手話通訳者になれる。さらに手話通訳士になるには年一回の手話通訳技能認定試験に合格する必要がある。「手話通訳士の試験は鹿児島県で1人しか合格しない年もありました。仕事や家事をしながら講習会に通い、勉強をするとなると7年くらいはかかります」。
気持ちのやりとり
鈴木さんはハローワークに職探しに来るろう者の希望や条件を手話で聞き取りながら相談に乗る。しかし就職口を探す手伝いだけではない。仕事に就いても周りの人の声が聞こえないため、孤立感や疎外感で仕事が長続きしない人もいる。「辞める前に相談に来てと言うようにしています。辞めたい理由や本人の気持ちを聞きだすうちに前向きになってくれるんです」。
取材中、鈴木さんにどんなふうに通訳するかを再現してもらった。その動きの早さに驚く。手だけではない。目や表情、体の動きも伴う。
専門性が高くなればなるほど通訳士の必要性は高まる。たとえばろう者が病院で診察を受けるとなると患者と医師や看護師間で伝えたい情報は、通訳士という言語の専門家が間に入るか否かで質が全く異なってくるのだ。
話ができるのが楽しかった
銀行に勤めていた20代の頃、『みんなの手話』というテレビ番組があった。「たぶん、興味をもったのだと思います。書店でその番組の冊子を買った覚えがあります」。夫の仕事の都合で移り住んだ北九州でも、あるアンケートで『手話を習いたい』と書いた覚えがあるという。10年後、鹿児島に帰るなり妹がさそってきたのは『手話講習会』。鈴木さんと手話の縁はとぎれない。「聞こえない人と話ができるのが私は楽しかった。手話の世界に一歩足を踏み入れたら、今こうして仕事までしています(笑)」。講習会で最初に教わった先生は耳の聞こえない人だった。『自分は邦画より洋画が好きです。字幕スーパーで楽しめますから。テレビの音を消してドラマを見てください。全然面白くないですよ』。そう語る先生から音のない世界を想像した。
『手話は言語である』
「職場の館内放送で車の移動のお願いなどが流れます。しかし、聞こえない人にはその放送が分かりません。なので、館内放送など周りの『音』の情報を伝えるようにしています」。たとえば、列車の遅れを告げる放送、災害発生の警報、避難所での支援物資の『水を配ります』の声、救急車のサイレンなど、聞こえない人がいることを想定していないことばかりだ。
『手話言語条例』を制定した県もある。職場の誰かが講習会で手話を覚えて、その人が職場で広めていく取り組みだ。もし鹿児島県でも制定されれば、公的機関はもちろん、地域のスーパーや学校のどこにいっても手話でコミュニケーションがとれる環境になるだろう。
手話には標準手話、方言のような地域手話、国際手話など多くの種類がある。「手話に興味を持つ人も増えていますが、もっと理解が広まれば、今度は手話を使って何ができるかを考えられる人が増えるといいですね」。就労の場だけでなく医療の現場や生活のあらゆる場面で早くそうなってほしいと願う鈴木さん。手話の裾野が広がれば私たちが見ている日常風景も違ってくるかもしれない。
取材:2016年6月