トップページ > MY履歴書 > ジョブサポーター

ジョブサポーター

3年後の自分

末吉 礼(すえよし あや)

"3年後の自分が輝いていられるか、
想像しながら就職先を選びました。"

―――様々な職歴をお持ちの末吉さん。現職に就くまでに、一体どんな社会人人生を歩んでこられたのでしょう。

高校生の頃は、幼稚園の先生になりたいという思いがあり、福岡の大学に進学しました。そこで、小学校教員もいいなと思い始めましたが、教育実習やアルバイトを通して、自分があまりにも世間知らずであることに気づいて、このまま先生になっていいのかなあと考えるようになりました。また当時、小学校の英語教育が必須となったため、まずは教員ではなく学校の外に出て、「社会を知ること」「英語が話せる仕事につくこと」を目的として就職活動を始めました。
はじめに入社したのは英会話教室を運営する株式会社NOVA。運営スタッフの募集を受けて入社したのですが、メインとなったのは営業の仕事でした。最初は営業するなんて思っていなかったのですが、やってみると大変だけど楽しいなって。もともとおしゃべりな性格だったのも関係しているかもしれませんが、一番は自分が営業することで相手が困っていることを解決することができる。そして自分が頑張る分だけ相手に気持ちも伝わる。これって事務職だったら気づけなかった喜びかもしれないと思うようになりました。

ジョブサポーター

――――その後、株式会社NOVAが倒産。もう一度就職活動をするため合同企業説明会へ。そこで出会ったのが株式会社リクルートだった。

ここで、CV(キャリアビュー)職という契約社員として働くことを決めました。CVというのは、3年で経験を積んで、育った人材を社会に還元していくというリクルートのやり方でした。正社員は、定年まで働くことができるというメリットがあります。一方で、契約社員の場合は1年更新で、最長3年と決まっていました。当時の私は「この3年で自分がどれだけ成長できるか」を重視していました。リクルート以外の企業も受けてはいましたが、3年後、どこの会社なら「輝いていられるか」を想像して就職活動をしていました。生涯を通して『キラキラした人』でいたいという思いはあったし、後輩から「いつも楽しそうですね」と言われるような存在でいたかったです。リクルートは実際にそういう方々が働いていました。だからやっぱり私はリクルートだなと。

――――末吉さんがリクルートを受けた当時はグループ採用を行っており、華やかなイメージを持っていた「ホットペッパー」や「ゼクシィ」で働きたいと考えていた。しかし、結局担当になったのは「タウンワーク」での営業。

タウンワークの営業では、鹿児島市内の真砂や鴨池新町から谷山港といったローカルと呼ばれるエリアを担当しました。天文館エリアのように、飲食店等のお洒落なお店が集中しているようなところではないため、待っていたのは、昔ながらのやり方を守る店主の方ばかりで。うちは他のところにお願いしてるから!とさっさとお断りされることが多く、苦労しました。でも私自身負けず嫌いな性格だったので、何回も顔を合わせるうちに、そういう方たちだからこそ、懐に入るとすごく可愛がってもらえて、いろんな話をしてくれるようになりました。例えば、鹿児島の今後についてこう考える、うちの会社ではこういうことをやるんだといった熱い話をする姿を見ていく中で、営業を通して自分の今まで知らなかった世界を教えてくれる人たちに恵まれていることに気づきました。鹿児島の魅力ってもしかしたら『人』なのかもしれないって。

――――株式会社リクルートで働きはじめて2年。リーマンショックという経済環境の悪化を受け、退職することを決断。充電期間を経た後、友人から「学生と企業をつなぐ仕事がある」という話を受け、ネイチャリング・プロジェクトという職場に出会った。

最初、ネイチャリング・プロジェクトというNPO法人において「中小企業と学生をつなぐインターンシップ事業」に従事した後、株式会社マチトビラにてインターンシップ事業を継続することになりました。マチトビラでのインターンシップ事業にて、多くのインターン修了生を輩出して3年。インターンシップを終えた卒業生たちとの繋がりが途絶えてしまっている現状を気にかけ始めていました。どうにかインターン修了生と接点をつくってその後のサポートもできないだろうかと考えているときに、現職のヤングハローワークで働いていた知り合いから学卒ジョブサポーターという仕事の紹介を受けました。マチトビラ卒業生との接点をつくり、就職支援を行うこと。そして、将来的には小学生のキャリア教育に携わりたいという思いから、学卒ジョブサポーターとして働くことを決心しました。
現職のヤングハローワークでの仕事を選択した理由は、行政で働くことに多くのメリットを感じたからです。まず、行政の仕組みやお金の流れ、世の中の情勢を学ぶことができます。さらには行政という立場で学校と関わりやすく、企業に対しても広く営業ができます。そういったことから、契約社員ではあるけれど、自分のやろうとしていることに直結するのかなという思いもありました。

内定をとるテクニックではなく、
どんな人生を過ごしたいか、を共に考えたい。

――――いまのお仕事で心していることを伺いました。

就職の仕方を教えるということで、エントリーシートの書き方や受かる面接の仕方などを学生に教えるサービスは溢れています。けれども、決して就職内定がゴールではありません。その先にある「幸せな働き方」を考えることの方が大切なのでは、と思います。ですから、内定をとるテクニックではなく、働くって楽しいよね、どういう人生過ごしたいですかといったことを一緒に考えることが私たちの役割だと思うんです。
就職をサポートするハローワークの仕事は、責任とやりがいのあるものだと思います。しかしながら新卒者の就職先としては、あまり向かない仕事なのかもしれません。やはり、ある程度の社会人経験やいろんな人と出会った経験がある人でないと分からない部分は多々でてくると思います。現在、ヤングハローワークで働いている従業員には、前職が航空会社、銀行員、大手メーカーなどと様々です。ヤングハローワークとしてもいろんな人を採用していこうという考えがあるようです。
私の仕事における今年の目標は「常に全力で!」ですが、いま、仕事への満足度はまだ50パーセントです。私にできることは、まだまだあると思うから。この就職支援の仕事を通して、もっともっと学生たちにもアプローチしていけるはずだと考えています。

ジョブサポーター

「正社員だから安心」は通用しない時代です。

――――「しごとびと」の読者へのメッセージをお願いします。

今の時代は特に「正社員だから安心」「正社員なら会社が守ってくれる」という甘い考えは捨てるべきだと考えています。正社員だろうと契約社員だろうと、「自分で仕事を生み出していける人」が社会で活躍していくのだと思います。だからこそ、若いうちはむしろ契約社員はチャンスだと思いますし、いかに頑張れるかを考えることでスキルアップにも繋がります。また、転職する際も重要視されるのは、雇用形態がどうということではなく、前の会社で「何をしたのか」です。
私の座右の銘は「人生が楽しいと仕事が楽しい」です。自分の仕事を通して、そう思える人を増やしていきたいし、そう感じられる仕事を自分で探してほしいとも思っています。そのためのお手伝いは何でもしますよ!!(笑)

――――緩やかな空気の中、自身のこれまでを笑顔で振り返る末吉さん。一つひとつの言葉には、自身の可能性を切り開く強い志が感じられた。「働く中に幸せな未来を見出す」、きっと彼女の周りにはそういった人がこれからも増えていくだろう。

取材 2014年7月