"起こってほしくないこと、あってはならないこと、
しかし、確率はゼロではありません。"
注目される資格の一つにファイナンシャルプランナーがある。保険会社や銀行に勤める人にその資格を取得する人が多いそうだ。人の命・病気を扱う生命保険と、車や建物、船舶などいろんなものを扱う損害保険。そんな保険に関する知識以外にも、税金や年金などの知識も必要とされる資格だ。野口さんは総合的な知識をもって、個人にも法人にも的確な保険プランを提案できるファイナンシャルプランナーだ。その穏やかな語り口は、分かりやすくて耳心地がいい。
段取りとコミュニケーション
学生時代は数学が苦手な文系タイプ。中学校・高校と放送部に在籍し、NHKが主催する地元の朗読コンクールでは県大会決勝に進出した。演目である芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の朗読は、独特な節も含めて今もよく覚えているという。「中学校のときの担任が上智大学出身で、その影響から大学は上智大学と勝手に決めていました(笑)」。経営学科なら数学が入試科目にないと知り、学内推薦をうけて憧れの大学に進学を果たす。大学では寮生活を経験した。寮では、1年生から4年生までが一斉に部屋を移る引越しが大仕事。その引越しの実行委員として寮生最大の関心事『部屋割り』を担当した。「多くの人を巻き込んで何かを運営するとき、それに必要な段取りやコミュニケーションを寮で学びました」
『保険』の道へ
就職活動では映画会社を志望するも念願かなわず、いわゆる「就職浪人」を選択した。そんなある日、スペースシャトルの爆発事故が発生。『大きな犠牲を払ったけれど、このプロジェクトは止められない』というアメリカ・レーガン大統領のコメントが印象に残った。それと同時に「保険も世の中のためになっているんだなぁと、そのニュースのどこかで思ったのを覚えています」。保険という機能に注目するようになり、その年、損害保険会社に入社した。新人として鹿児島支店に配属され、新規の契約獲得を主な業務とした。
独立開業。突破口は地元のテレビから
その後、東京勤務を経て31歳のとき、山口支店に赴任。この頃から、働き方に疑問を感じるようになる。大きな組織で、家族との時間を犠牲にしながら働く中、働くことの意義、自分の人生の目的といった事柄を考えるようになった。「待望の第1子が病気を抱えていたこともあって、家族との時間を優先させるために独立を決めました」。当時まだ少なかった生命保険の代理店として野口さんは活路を見出すことになる。「生命保険は初めて触れる世界でしたので、ファイナンシャルプランナー(FP)の勉強を始めることにしました」。FP資格取得後は、取り扱う商品を勉強するのと並行して、お客を開拓する方法を模索し始めた。「まずは、自分の仕事を地域に知ってもらうことが大切だと感じて、いかに情報発信するか真剣に悩みました」。突破口が開けたのは、マスコミとの連携だった。地元のテレビ局に「家計見直し」「保険の有効活用」といったテーマの番組制作を提案し、放送されることとなった。ここでの反応にヒントを得て、地元テレビのCM枠で「お金の有効な使い方」という切り口の情報発信を続けた。FPという仕事に対する認知が上がり、野口さんにも少しずつ保険に関する相談が入るようになった。中高時代に培った放送部時代の経験が活きた。
リスクに対する処方箋
この日、鴨池球場で予定されていたプロ野球の試合が雨で中止になった。ファンも残念だが、主催者も大きな痛手となったはずだ。「そういうものには、イベント中止保険というのがあって、大きな損害を補う仕組みもあるんです」。世の中には、経営者の突然の死、家族の大黒柱の長期入院、火災や交通事故など、リスクはある。少しずつ負担したお金が、大きなリスクを乗り越え、再起を図るためのお金となって支払われる仕組みを保険はもっている。最近は、企業の中で生じた利益を保険の形で先に負担することで、企業の税金負担を軽減させるような仕組みの提案も増えている。野口さんらFPたちは、相談に来る人たちの未来を一緒に考え、そこに生じうるリスクを軽減するためのプランを構想し、保険の提案を行う。お金を通して、人生や、企業の経営を守る。それはまるで、未来を守る仕事のように感じられた。
取材 2014年6月