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臨床心理士

異端児!?

前原 恵理(まえはら えり)

"音楽と心理学。好きな事ばかりやっているので仕事をしているという自覚はあまりないかもしれません。"

現れたのはエネルギーいっぱいの笑顔が素敵な人だった。開口一番「私の活動は臨床心理士としてはかなり変わっていると思うんですが、それでも大丈夫ですか…?」と笑う。十人十色の仕事ぶりと職業観を探るのが「しごとびと」の使命。異端児、大歓迎デス! どこが一般的ではないのか、とくと伺おうではありませんか。

一風変わったアプローチ。

しかし、確かに、変わっていた。活動風景の取材に出向くと、汗だくで太鼓を車に積み込んでいた。「今日はジャンベを使った活動の日なんです」。ジャンベは西アフリカ一帯で演奏されている民俗楽器の太鼓。子育て支援団体から、発達障害などのある青少年を対象とした生活訓練を委託されている前原さんは、音楽を使ったアプローチを取り入れているのである。
集まってくるひとり一人に、前原さんは、笑顔で声をかける。「今日の調子はどう?」「そのTシャツのキャラクター好きなの?」。練習が始まった。それぞれが違うリズムを叩き、そのハーモニーで一つの音楽が作られていく。「みんなで演奏することを通して、演奏の中で自己主張や協調性を学ぶことができると思うんです」。このクラスが始まったおよそ2年前に比べると、自分の意見を主張することができるようになったり、集中力がついたり、それぞれ変化があらわれていると前原さんは感じている。

一風変わったアプローチ。

好奇心いっぱいの青春時代。

前原さんは、子どもの頃から、将来やってみたい仕事がたくさんあった。弁護士、新聞記者、ピアニスト、アーティスト。たくさんの夢を描いたが「なまじ成績が良かったから…」周囲から医学部への進学を勧められた。過呼吸になった友人の姿を見たこともあり、精神科医を目指すことに。残念ながら、最初の受験では医学部入学が叶わず、北九州市で1年間の浪人生活を送った。「けれども、勉強を詰め込む予備校で、私の性には合いませんでした」。2年目の受験も思うような結果が出なかったが、それ以上浪人する気にはなれず、滑り止めで受かっていた熊本大学の教育学部に入学した。だが、先生になるための勉強があまりおもしろいと思えなかった。「イベントやキャンプ等の行事があるときは運営係として張り切ったんですけど」。
そんな前原さんの学生生活を変えたのがジャンベとの出会い。小さい頃からピアノ教師だった母にピアノを教えられた前原さんには、音楽が体にしみ込んでいた。アフリカの草原を駆ける動物たちが好きだったことも、アフリカ音楽に目を向けるきっかけになった。「動物が走っているのは中央アフリカで、ジャンベは西アフリカの楽器だということは後から知ったのですけど(笑)」。それからはジャンベを中心に生活が回っていった。
その後、心理学を学ぶべく大学院へ進学。2カ所受験したが、後にゼミの担当になる教官とのふとした縁から、鹿児島大学の大学院を選んだ。「恩師との偶然の出会いが、私を鹿大へ引き寄せました」。鹿児島大学ではジャンベの同好会を立ち上げ、三島村との交流も深められた。

自分自身も大事にすること。

自分自身も大事にすること。

前原さんは現在、組織に属さず、フリーで臨床心理士の活動に取り組んでいる。冒頭で挙げた生活支援活動のほか、スクールカウンセラー、慢性期病院での活動、鹿屋体育大学での学生相談、電話相談など、その活動は多岐にわたっている。さらに今年は、音楽を通して子どもたちの情操や社会性などを養う活動に誘われており、参画することを予定している。「病院や企業に属す人も多いのですが、私は独立の道を選びました。自分の裁量で仕事の予定を組み立てることができるので、私には合っています」。
元気いっぱいの前原さんだが、デリケートな心の問題を扱う立場であるだけに、相談者との距離のとり方や言葉の選び方、こまやかな気配りなど、要求される事も多い。「重い問題に直面することもあるので、自分自身の気持ちにも注意を払うこと。そして、何でもいいから自分自身が元気を取り戻せる方法を持っておくことが大切」という。「私の場合、柱に音楽があるのでよかったです」。趣味であれ、遊びであれ、勉強であれ、好きな事をとことん追っかけると、どこかでつながって、一生の仕事になったり、人生を支える力になったりするものかもしれない。前原さんのはつらつとした笑顔がそう語っていた。