"マイナスな気持ちの患者さんに、こちらがマイナスの空気で接してちゃダメだ。"
整骨院や接骨院といえば、体育会系の部活生なら、お世話になったことも多いだろう。ねんざや打撲など、スポーツにはつきものの怪我である。その整骨院に従事しているのが柔道整復師である。柔道?その名称は、昔、柔道の練習や試合などで脱臼などをした際、コーチや選手がその応急処置を施していた技術が、やがて国家資格となったことに由来する。
再スタート
小さい頃からパイロットに憧れ、熊本の進学校に在籍していたときもその夢は変わらなかった。「まわりが志望校に迷っているとか、センター試験の対策を始めなきゃと言っているときでも進路は自衛隊の航空学生一本やりでしたね。でも、航空学生に入隊したあと、すぐに挫折してしまいました」。昔から、スポーツでも勉強でも人並み以上にはできていたし、自信もあった。ところが、航空学生での訓練のなかで、長距離走だけはどんなにがんばってもビリ。「できないことにめげたというより、人よりもできないことを受け入れられない自分がいました。そんな自分の弱さを知って嫌気がさしました」。周りの説得を振り切り、人生をリスタートすべく予備校での浪人生活に入った。そこでも厳しさは変わらなかった。資格という観点から理学療法士を目指し、受験勉強を1年半続けた。受験した名古屋の専門学校の理学療法学科には不合格だったが、柔道整復師科へ転科合格し入学。卒業後は同じ名古屋の地で接骨院に就職し、そこで3年間修業を積むことになった。結婚もした。「妻も名古屋の人で、彼女にはいずれアメリカとかタイとかで開業できたらいいなぁと夢を語っていました。結果、鹿児島に戻っての開業でしたが、妻にとっては国内でよかったんじゃないかな(笑)」。
気づきのアメリカ旅行
開院後、試行錯誤の中でひた走ってきた。院内も何度となく配置換えをした。患者との会話にも気を配るようになった。技術だけでなく、経営についてもつねに頭の中にあった。開業から2年たった昨年の9月、アメリカでの開業も視野に入れ「欧米人たちが肩や腰の痛みに悩んでいるのか、そんなときどんな対処をしているか調査してみよう、そして、そのアンケートを院内に掲示しよう」とアメリカへと立つ。英語で準備したアンケート用紙と、そのお礼にと和紙で作った折鶴を100羽以上もっていった。ところが、現地ではこちらのお願いに『No』の連続。回収できたアンケートは10枚。旅の収穫を心待ちにしていた通院中の患者さんに申し開きができないと感じた。『これじゃただの旅行だったじゃないか』。10日以上整骨院を休みにして手にしたアンケートすら公表せず、土産話の一つしなかった。「患者さんは痛みや怪我を負ってマイナスな気持ちで私のところに訪ねてきます。それなのにアメリカでの失敗をひきずったままでプラスの空気で接することができなかったんです」。患者さんが次の新しい患者さんを紹介してくれる流れができていたのに、そのつまづきがもとで良い流れが断ち切られてしまった。持ち直すきっかけをつかめたのはハウステンボスの黒字化に成功した経営者の本を読んだとき。それでも来院数が回復するのに6ヶ月以上かかった」。
すべては血液の流れと筋肉
取材に伺った日、40代の男性が肩があがらないといって整骨院を訪れた。症状についてしばらくヒアリングしたあと、おもむろに患者の背中にまわる。「右肩が下がっていますね。ここを押すと痛いですか?」会話しながらの施術が始まった。今度は患者を診察台に横たえ、ひじでグーッと押しながら「腕の筋肉がだいぶ落ちていますね。」いろいろな角度からひじで圧をかけていく。腕、肩、そして足、腰へと移動する。「椎間板の4番5番を以前から傷めていますね。最近ひざが痛くなりませんか?股関節がだいぶ開いています。」一通りの施術がおわったあとも、患者とのコミュニケーションが図られる。「前かがみの姿勢をとる習慣がありますので、意識して胸を張る姿勢をとるようにしてください。この痛みが治まるまで2週間くらいかかります。痛みがひいたらぜひ腕立て伏せをやってください。」坂上さんは患者の痛みの軽減はもちろん、その痛みの根本の原因をとらえ、再発防止のための運動や姿勢のとり方などを説明する。「急性の痛みなら、どれくらいで腫れが引き、どれくらいで痛みが治まるかほぼわかります。そして、それを患者さんに伝えたほうが、まじめに通院していただけます(笑)。自分たちのやっていることは、血の流れをよくすることです。骨折の場合、場所次第ではギプスがはずれた頃から筋肉を動かして毛細血管に多く血液を送り込んだほうが骨の治りがよくなりますし、筋挫傷(肉離れ)では傷めたところをさわらずに、そこに栄養(血液)が流れるようにしてやります。予防や回復には筋力トレーニングが一番です。ただ、自己流の運動は指導者がいないと難しいです。ヨガや水泳などもいいですが、ハードルの低さと効果の面からは適度なランニングがお薦めです」。実は坂上さん自身、朝5時には職場にきて与次郎ヶ浜までのランニングを欠かさない。それはランニングこそ最高の全身トレーニングであることを実践してみせるため、そして東京オリンピックに出場するためだと言うが、よくよく話を聞くと、航空学生の長距離の最高記録を超えるという目標もあった。あのリスタートを余儀なくされ、今でも悪夢にうなされるという長距離。あの時のトラウマを克服しようとしている。
おじいちゃん、おばあちゃんとのジレンマ
患者さんに多いのが、部活帰りの中高生、働き盛りの30代、40代だという。そこに高齢者が入っていない。「自分はおじいちゃん、おばあちゃんに嫌われるんです。まじめにやりすぎて(笑)。最初の頃は、痛みの相談をうけると、一生懸命その痛みをとるための施術とアドバイスをしていました。会話そっちのけで。やがて、「お年寄りたちが望んでいることと自分がしようとしていることにズレを感じ始めたんです。『そこを押すっとは、もうよか!痛くなかごっ、しっくれんどかい』そんな言葉にこちらも頭を悩ませました。今思うと、とにかく会話が大事だったんですよね。お年寄りたちのその気持ちが見抜けなくって。根がまじめですから、技術以外のところでお金をもらうというのはどうも気が引けるし、なんて思っていたんですよね。そこで考えたんです。思い切って来春には新しく職員を増やして、もっと余裕を持ってコミュニケーションのとれる、老若男女に親しまれるような整骨院にしていこうと思っているんです」。整骨院前のボードには毎日坂上さんの手書きの絵とことばが綴られている。今までの反省と日々の思いを込めて。
取材 2014年8月