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管理栄養士

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立石百合恵(たていし ゆりえ)

1965年生まれ 枕崎市出身。
枕崎中学校、枕崎高校、純心短期大学家政科食物栄養専攻卒業。医療法人賢愛会上山病院、医療法人人天会鹿児島こども病院勤務を経て平成14年6月より医療法人九十九会関小児科医院勤務。

人の中で生かされて仕事をしてきました。
先輩方から受けた恩を年下の人たちへ
返していきたいです。

院長室に賞状があった。院長に話を伺うと
「うちの管理栄養士が考案した『きびなご鮨』が受賞したものです」とのこと。
そのレシピの考案者立石さんの第一印象は凛とした女性。話しを伺うとますます前向きな印象が深まる。
「今、栄養管理を存分にやらせてもらっています。人前で話し、伝える機会に恵まれています」と語る立石さんの歩みをたどった。

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進路室でみつけたワード

「高校の音楽の授業でクラシックを聞きながら、ふと、進学しようと思ったんです」。進路室にあった雑誌を開くと管理栄養士というワードが目に留まった。試験科目に数学があるのを知り、商業科だった立石さんは普通科の補習の時間に数学を受けさせてもらった。短大入学後も化学系の授業に苦戦しながらも調理科学や調理実習は充実していた。「砂糖一つにしても、水に溶かすだけならただの砂糖水。温度を上げていくと103℃あたりでシロップ、そして飴の状態をへて160℃を越えるとカラメルに変わるんですよ」。夏には病院で2週間、給食センターか保健所で2週間の校外実習がある。立石さんが就職先を病院に決めたのはこの実習の時だった。「患者さん向けの特別な食事に関する臨床栄養や病態栄養を勉強できた方がスキルを伸ばせると思ったのかもしれません。でも、病院での実習が単純に印象深かったんです」

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先輩方から学んだもの

最初の就職先は人工透析が専門の病院。透析食は野菜を茹でこぼししてカリウム抜きをする必要や、食塩、タンパク質の制限もある。年上の調理師や調理員に指示をだす立場で、やりにくい面が多かった。いじわるをされたと思って机の下で泣いた。「でも上司には『人の奥底にある優しさに目を向けなさい』と」。病院の事務長には、大学病院のインターン生として半年間勉強するチャンスをもらった。「透析だけでなく多くの病気と向き合いました。一番大きかったのは大学の栄養室の室長との出会いでした」。『患者に学べ』の姿勢を叩き込まれた。次の病院では、管理栄養士として成分表やカロリー計算という視点だけでなく、広い視野を持つ大切さを教えられた。『患者さんのウンチをみましたか?』という院長はアーユルヴェーダというインド医学に精通していた。治療だけでなく心と体の調和や患者を取り巻く環境を重視していた。農業研修へ赴いたのもこの病院時代。医と食の関係を意識し、病院の敷地に菜園まで作った。

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たべるもので心もつくられる

出会いを重ね、現在の病院へ。入院できる小児科の給食を通して、食事にまつわるしつけの様子を目の当たりにした。そして、多くの母親が直面する育児不安を目の当たりにした。退院したあとも病気になりにくい環境に戻してあげたい。院長に頼み込み調理教室のスペースを確保。『いどばた教室』が始まった。「会話をしながら一緒にキッチンに入り、同じ料理を作り、食材の意味を説明します」。母親は自ずと市販の食べ物の添加物の多さを意識し、手作りの良さに気づく。管理栄養士の大切な仕事である「栄養指導」の目的は行動変容へと導くこと。小児科においては母親が子どもに作る食事を改善してあげることが行動変容だ。予防医学の観点から食育をとらえる立石さん。「人間は食べたもので体がつくられ、そして心もつくられます」

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君のキビナゴ鮨を一千食作ってくれないか

川内の特産品となるようなレシピを考えてみないかと、ある日、事務長から声をかけられた。レシピを作り上げると、今度はコンテストに出してみないかと。「詳しく聞くと鹿児島市のホテルで開催されるコンテストでした。『君のキビナゴ鮨を1千食作ってくれないか』と言われたんです。業務命令でした(笑)」。急遽、応援チームが編成され、当日を乗り切った。透明感のある美味しさは多くの票を集めて優秀賞を獲得した。メディアにも取り上げられ、結果的には「伝える」仕事の幅を広げた。明治維新以降、西洋医学が中心となり、病気になると薬に頼る慣習は定着したが、食を中心とする予防医学はまだまだと語る立石さん。最近は院外で活動する機会も多く体力の限界を超えそうなときもある。「そのへんをどうやってコントロールするか考える年齢なのかな」という悩みさえ笑い飛ばす。クラシックを聞きながら進学を決意したあの日から、がむしゃらに走ってきた。そして今日も調理師たちと一緒に厨房を守る。

取材:2015年2月