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茶農家

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田中 智彰(たなか ともあき)

1971年生まれ 出水市出身。
大川内中学校、市来農芸高校を卒業後、農林水産省野菜茶業試験場での研修を経て、静岡の茶農家で1年間住み込みで働く。
その後帰郷し、21歳で就農。
第28回全国茶業青年審査技術競技会 団体優勝。

理想的なマニュアルはなく、
その土地に合った栽培方法や
製茶技術を見つけ出すしか無い。


今年7月に開催された出水高校での「リアルしごとびと」。そこで地元の農業家として協力して頂いた田中さん。
高校生を相手に真摯に話す姿に感じる部分があり、もっとお話を伺いたくなった。
そこで、秋のコスモスや春の菜の花やボタン、アジサイで有名な上場高原(出水市)にある田中さんの茶畑を訪れた。

 

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開拓団が切り拓いた土地

出水市の中心部から伊佐市方向へ車でおよそ40分、標高550mの上場高原。よく見る茶畑と違い田中さんの茶畑は、平地は少なく斜面一杯に広がっている。「戦後、東南アジアから引き上げてきた祖父が開拓団として切り拓いたんです」。田中さんのおじいさんは東京出身だったという。今でこそ重機を使い大規模に山を切り拓いて宅地を造ることができるが、当時は鋤(すき)、鍬(くわ)、鋸(のこぎり)といった道具のみ。手作業で山を切り拓いて畑を造るなんて気の遠くなる作業だったに違いない。さらに気候も寒暖の差が激しく、冬は県内で最も寒い地域のひとつだ。幼い頃、田中さんはそんな場所で育った。「茶畑は祖父と父がつくってくれていて、農作業の手伝いをすることが遊びでした」と懐かしそうに語る。「手伝いをしながら弟とよくかくれんぼをしていました。いなくなった弟を探し出すと、飼っていた牛の餌箱の中で寝てたんです。カラスの巣のヒナを捕りに弟を木の上に登らせたこともありました(笑)」。田中さんにとって、自然の中で営まれるお茶農家を自分の仕事とすることに何の疑問も持たなかったという。

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悔しさをバネに

高校卒業後、静岡県にある農水省の野菜茶業試験場で2年間働きながらお茶の勉強をし、さらに同じ静岡県内のお茶農家に住み込みで1年間研修した後、帰郷し就農した。
そして自分で育てた茶葉で作ったお茶ができた。茶業界には求評会という問屋さんをはじめ多くの人に味見をしてもらい、品質の向上を図る展示会があるのだという。しかしそこで、田中さんのお茶はお客さんから見向きもされなかった。「3年間、お茶の本場静岡県で勉強してきたという自負もあって、ショックでした。悔しかったですね」。そしてその悔しさをバネに茶葉の栽培方法や製茶の仕方など多くの人に教えを仰いだ。その結果行き着いたのが、「理想的なマニュアルはなく、その土地に合った栽培方法や製茶技術を見つけ出すしか無い」ということ。それから数年後、同じ求評会で多くの人たちに評価してもらえたという。「特に、同業者から認められたことがうれしかった」と語る田中さん。さらに個人的にも、仲間と一緒に挑んだ全国茶業青年審査技術競技会で団体優勝するという経験ができた。

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代々受け継いできた誇り

祖父の代に開拓し、これまで化学肥料や農薬を一切使ってこなかった土地を受け継いだ田中さん。有機茶(オーガニック茶)にこだわっている。日々の仕事の中心は、茶葉の木の管理だ。手作業による草取りを始め、茶葉の状態を見ながら与える肥料の時期の見極め、その肥料も既製のものではなく油かす、魚粉、肉骨粉、米ぬかなど材料を吟味して、自分で配合を決め、微生物とともに発酵させてつくるのだという。農薬を使わない分、病害虫には細心の注意をはらう。栽培方法について柔和に話す田中さんだが、言葉の端々に「木に力をつけさせるにはどうすればいいのか」と常に考えていることがうかがわれる。製茶についても、畑ごとに、さらに品種ごとに『蒸し』や『葉打ち〈生葉を蒸したことで表面についた水分を、撹拌させながら熱風にさらし、蒸し葉表面の水分を取り除くこと〉』のやり方を変えているという。有機栽培の茶葉は、有機野菜にシャキシャキ感があるのと同じで、繊維が強く肉厚だ。さらに、標高の高い所で栽培された田中さんのお茶は香りに特長があるのだという。最後に、「農業は、自然相手の仕事なので、病害虫の発生や気象災害など思いがけないことが起こります。それらに対応して毎年安定して収穫できるようにするのが技術です」と言い切る田中さん。そこに自然と共存しつつ挫けない先祖代々続く開拓団の誇りを感じた。

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取材:2016年9月