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社会起業家

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永山 由高(ながやま よしたか)

1983年生まれ 日置市東市来町出身 東市来中学校、鶴丸高校、九州大学法学部法政策学科卒業。2006年日本政策投資銀行入行。2009年帰郷し鹿児島市にてNPO活動従事。2011年一般社団法人鹿児島天文館総合研究所Ten-Lab設立。

"大切なのは、コミュニティの一人ひとりが
本音を話せる関係であることです。"

会社や地域、学校など、ひとつのコミュニティのなかで過ごしていると、名前や顔はもちろん、お互いの性格や考え方など、何でも分かりあえているような気がする。けれど、その親しさゆえに、一人ひとりが持つ悩みや問題について語りづらかったりする。だが、その集団に第三者が入ると、何かのきっかけがつくりだされることもある。
全国でも過疎や少子高齢化の先進地と言われる鹿児島で、地域の課題について住民の声を集め、住民が語り合うきっかけと場を提供する活動を行っているのが、鹿児島市に本拠地を置く一般社団法人鹿児島天文館総合研究所Ten-Lab(てんらぼ)だ。Ten-Labを率いる永山由高さんに、活動にかける思いを伺った。

ベクトルの向きを180度変えた時。

大学在学中は政治家を目指していた時期もあった永山さんだが、「社会を動かしているのは政治家よりビジネスパーソン」と方向転換。就職先として政府系金融機関を選んだ。だが、大企業向けの投融資を担当していた2008年秋、リーマンショックが世界中を襲った。入行3年目、金融の最前線で経済破綻を目の当たりにした永山さんは「永遠の成長を前提にした仕組みはいつか崩れる」ことを悟った。「信じられる人、信じられる道があれば頑張ることはできます。けれど、それを見失ってしまった。立ち位置を変えないと、前へ進めなかったのです」。翌年、銀行を辞め、鹿児島へ帰郷した。25歳だった。
「鹿児島の街を経済発展させたい—」。大学入学のために移り住んだ福岡の街の賑わいに衝撃を受けた18歳の頃から、その思いはずっと胸の奥にあった。「鹿児島は街がコンパクトなだけに、面白い人とすぐにつながることができます。目配りでき、気持ちが届きやすい規模感が、何かを成すのにちょうど良いと思っていました」。帰郷してしばらくはNPO法人に身を置き、起業家支援活動を行っていたが、銀行員時代と同じスタンスの業務内容に違和感を覚えるようになった。
別のやり方で社会にアプローチしようと考え、鹿児島市の中心地・天文館で個人的に活動を始めた。郊外の大型ショッピングモールや鹿児島中央駅の駅ビルなどに客足を奪われ、以前の活気が失われた天文館に賑わいを取り戻すひとつのチャレンジでもあった。最初に試みたのは「天文館で朝読書TenDoku」という日曜朝の読書会。「ローカルにいても知的刺激や学びの循環が作れるということを試したかったんです」。これまでに参加者は2000名を超え、現在では天文館にとどまらず、霧島、鹿屋、北薩をはじめ県内各地にコミュニティが生まれ、活動の輪は広がっている。「TenDoku」をきっかけとして、永山さんは天文館を拠点に、さまざまなコミュニティを立ち上げてきた。

鹿児島天文館総合研究所Ten-Lab

島が教えてくれた。

これらの活動を続けるうちに、行政や地域から、まちづくりへの参画を求められるようになってきた。そこで2011年7月、各コミュニティの事務機能を統合する形で立ち上げたのが「Ten-Lab」だ。天文館を本拠地にしながら、県内各地へ赴き、まちづくりの土台をかためる活動をしている。現在、手がけているのは甑島、種子島、屋久島など離島が中心だ。集落内の家々を一軒一軒訪問し、住民一人ひとりの思いを聞いて回る。一軒1時間以上かけてヒアリングすることもある。「公民館でみんなの前に立ち、何かありませんか? と聞いても意見は出てこない。けれども、一人ひとりに話を聞くと、地域の問題や自分の悩みなど、いくらでも話が出てくるんです」。何度も現地に足を運び、時間と手間ひまを要する作業だが、遠回りの中にこそ答えがある、と永山さんは考えている。
福岡、東京など都会暮らしを経て帰郷した永山さんは、鹿児島で活動を始めてから、とりわけ島の魅力に捉えられたという。「考え方、自然との向き合い方、コミュニティ内の距離感…。これからの時代に必要なこと、資源がすべて島にはあります。僕たちの活動はローカルを対象にしているようですが、逆に、素晴らしい島の資源を街に伝えるという役割もある。いや、伝えなければならないと感じています」

鹿児島天文館総合研究所Ten-Lab

コミュニティの「血のめぐり」をよくしたい。

永山さんは、いろんな場面で対話の場を増やして‘血のめぐり’をスムーズにすることが、問題解決への糸口だと感じている。人と人が語り合うことで「このまちには何もない」という諦めが希望に変わったり、問題が解決できたりすることがたくさんあるからだ。「みんなが話し合った結果、何かが生まれることもあるし、何の問題もないからこのままでいい、ということもある。どちらも間違いではありません。大切なのは、皆が本音で話せる関係であることです」。将来的には、Ten-Lab抜きでも活発な対話の場を持てる地域が増えてほしいと考えている。既にいくつかの地域では、Ten-Labとの交流をきっかけに、地域内交流に積極的に取り組む人たちが育ってきているという。
なにより、Ten-Labそのものも、血のめぐりが良いコミュニティでありたい、と永山さんは言う。地域おこし、まちづくりに限らず、今後、さまざまな仕事に取り組める柔軟な組織でありたいからだ。その思いのもと、女性スタッフが仕事と家事育児を両立できる勤務体系を模索している。出張の際、女性スタッフが子どもを連れて行くのもここでは当たり前の光景。お母さんの仕事中は、周りのスタッフや時には現地の人たちが子どもの相手をしてくれることもある。
Ten-Labの活動は、これまで鹿児島ではあまり見られなかった新しく、スタイリッシュなビジネスモデルのようでもある。だが、永山さんたちがやっていることは、地域のコミュニケーションを円滑にして絆をつなぎなおし、そこから生まれたものや地域資源を街へ届ける、という地に足の着いた活動。それはあたかも、硬くなった地面を耕して軟らかくならし、空気や肥料を土に混ぜ、種を植えるようなイメージがある。いま、Ten-Lab始動から5年たち、地道に植えつけてきた種が鹿児島のあちこちで芽吹き、いろんな色の花や実をつけ始めている。

取材 2014年7月