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ウエディングプランナー

影からそっと支える

内山 孝子(うちやま たかこ)

「内山さんに相談しよう」
って言われるような
人生のプランナーになりたいですね。


働く中でうれしかったことは、担当した新郎新婦に「内山さんの『大丈夫ですよ!』にどれだけ支えられたか」と言われたことだという。
インタビューをする中で、なるほどなと納得させられた。人を惹きつけ、安心感を与えてくれる母のような彼女の原点を探る。

 

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ルーツは中学時代に

内山さんが中学生の頃は今のようにLINEやメールはなかった。授業中や放課後に友人と手紙のやりとりをしていたそう。世話好きで友人たちのお母さんポジションであった内山さんのもとには、毎日のように友人からの恋愛相談の手紙が!「返信に大忙しでしたね(笑)勉強そっちのけで。でも楽しかったです」と当時を懐かしむ。人のお世話をしたり悩みを相談されることが多く、すでにこの頃からホテルマンやCAの仕事に興味をもっていたという。短大に進学し、いざ就活となって自分の性格を見つめ直した。行き着いたのはやはり接客業。「人に携わる仕事がしたい」という内山さんの想いは強くなっていった。

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勘と経験とド根性

短大卒業後、県内有数のホテルに入社。希望していた接客業に。無我夢中で駆け抜け、周りの人の支えもあり、気がつけば若くしてインフォメーション部署で責任者を任される。その後はレストランの部署でも責任者に。そこでは、料理人の立場を守る料理長とサービス側の狭間に立たされ、その調整には相当な重圧がのしかかった。辞表まで準備していた内山さん。そこにホテルの支配人から『ホテルは幅広い業務があるから、今辞めずに新しい部署で働いてみるのはどうか』とアドバイスをもらい、ブライダル業務で再スタートをきることに。いまは女性のイメージが強いウェディングプランナーだが、当時はほとんどが男性だったという。「本当に一からのスタートでした。先輩の背中を見て覚えろという時代だったので、勘と経験とド根性でひたむきに学び、突き進みました」と内山さん。ウエディング業務に携わるうちに「こんな世界があるんだ!」と、新郎新婦二人の幸せをお手伝いする楽しさを知り、引き込まれていった。「私の天職だと思います。支配人に自分の才能を引き出してもらいました。感謝しています」とにこり。ホテルマン時代に担当したカップルはなんと554組!単純計算すると10年間、毎週『二人の門出』を見届けたことになる。

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すべての経験が今に繋がる

6年間務めたホテルを辞め、地元志布志のホテルに務めるきっかけとなったのは母の病気が再発したこと。父の死から半年ほど経ったときのことだった。「親孝行をなにもできていないなと思って」。しかし、以前のホテルと地元のホテルではギャップが大きく、驚きを隠せなかったそう。以前はパソコンでしていた作業も手書きで行うことがあったり、請求書も手渡しだったり。ブライダル業務担当とはいえ、ホテル業務全般に携わらなくてはいけなかった。「でも、良いところに目を向けようと切り替えました。直接家に出向いて式の席図を決めたり、費用の精算に直接携わることも、見方を変えればお客様と密接に関われることだと気づきました。ここでの新たな経験が独立してフリーになった今に繋がっています」

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影からそっと支える

ウェディングプランナーは当日のスケジュールはもちろん、招待者の中でアレルギーのある人、車いすの人、幼い子供がいるテーブルなどを把握しサポートするのも重要な仕事。結婚式当日までの準備期間は2人のケンカの仲裁役をしたり、当日は新郎新婦が安心して式に集中できるように、でしゃばらず影からそっと支える。結婚式の準備に全然やる気のなかった新郎もいざ当日の結婚式を終えると、『結婚式をして、いかに周りの人に愛されているか感じることができました。僕はなんて幸せ者なんだ!』と言っていたというエピソードを話してくれた。「結婚式はいいですよ!ぜったい思い出に残ります!感動します!!」と力強く語る内山さん。結婚式に対する憧れやイメージは時代とともに変化している。昔に比べて選択肢が広がっていて、常に勉強し、流行を取り入れることが必要。「将来的には本物のプロフェッショナルといえるプランナーを育てたい。ゆくゆくはプランナー育成学校を」と今後の夢を話してくれた。インタビューの短い間に、彼女の笑顔に心を鷲づかみにされていた。

 

取材:2016年9月