鍼灸師

恐田 幸一(おそれだ こういち)

1962年鹿児島市生まれ 鹿児島市立紫原中学校、鹿児島県立甲南高等学校、鹿児島大学法文学部法学科卒業。会社勤めを経て1988年学校法人久木田学園鹿児島鍼灸専門学校入学、1991年3月卒業。同年より鹿児島市において恐田鍼灸治療院開業、現在に至る。

" 世の中には数字に置き換えられないものもある。
そう認めることができる人に東洋医学は向いています "

腰痛、肩こりをはじめ風邪や胃もたれなど、さまざまな体の不調に鍼灸治療が効くという話を聞いた。病院に行くほどでもないが何となく不調、という時はとくに適しているのだとか。長い歴史をもつ東洋の医学から生まれた治療法のひとつが鍼灸の技だ。

憧れていたサラリーマン生活。

現在、鹿児島市内で鍼灸治療院をひらく恐田幸一さんは、大学の法学科を卒業した後、一般企業のサラリーマンになった。「両親は酒屋をやっていて朝早くから夜遅くまで働き通しだったので、自分はサラリーマンになって家族と過ごす生活がしたい、と子どもの頃から思っていました」。大学卒業後、家業を継がずに入社した地元の会社では、総務課の一員として順調な2年が過ぎたが、3年目、東京本社への異動が運命を変える。満員電車での通勤と連日の接待宴会に馴染むことができず、半年過ぎる頃には、違和感が大きく膨らんでいた。資格をとって別な生き方がしたい、と手に取った本の中で、鍼灸師の文字が目にとまった。「料理人にも魅力を感じたのですが、年齢的にきびしくて。酒の配達で腰をいためた父が、あちこちの治療院へ行く姿も脳裏をよぎりました」。鍼灸学校が数少ない時代だったが、幸いなことに故郷の鹿児島には、当時九州で唯一の鍼灸専門学校があった。

通勤電車を降りた

通勤電車を降りた。

職場の上司、同僚はもちろん、家族からも「不安定な道へ進むなんて」と猛反対を受けたが、いったん決めた心は揺らぐことなく、通勤時間も利用して猛勉強し、100人以上の受験者の中から見事20人の合格者に入った。「東京への転勤がなかったら、まだ会社員をやっていたかもしれません」と笑うが、組織の歯車になりたくない、という気持ちもあった。専門学校在学中は、平日の夜は家庭教師のアルバイト、土日曜は開業している先輩鍼灸師が集まる勉強会に参加して研さんを積んだ。卒業後、すぐに開業することを決めていたので、少しでも実践で役に立つ知識と技術を身につけておきたかった。「自動車免許と一緒で、鍼灸も免許を取ったからすぐに治療ができる、というものではないんです」
卒業の2カ月後、鹿児島市で開業。先輩たちからは「とりあえず3年は辛抱しろ」と教えられていた。「あとから5年は頑張れ、に延びましたけど(笑)」。夜、鍼灸院を閉めた後はホテルで客室マッサージのアルバイトをこなした。「努力すれば必ずなんとかなる、と思っていましたから、将来のことはあまり悩みませんでした」。3年目を迎えた頃、一度だけ心が揺れた時があった。そのとき、天文館でよく当たると評判の占い師に「治療家は向いている」と言われ、迷いを吹っ切った。アルバイトをしなくてもなんとかなるようになったのは独立から5年が過ぎた頃だった。

黄帝内経霊枢

微鍼を以て。

恐田さんの鍼治療は繊細だ。基本的に、皮膚に鍼を突き刺す治療はしない。患者の脉(みゃく)を診ながらツボに鍼をそっと押し当て、氣・血・水(き・けつ・すい)の流れを調整していく。中国で紀元前に書かれたと言われる東洋医学のバイブル『黄帝内経霊枢』を見せてくれた。そこには「微鍼を以て、其の経脈を通じ、其の血氣を調え」との文字が読み取れた。強い刺激による治療ではなく、細く軽い鍼で本人の回復力を引き出すのが恐田さんの治療なのである。奥が深い東洋医学の世界。鍼灸師に向いているタイプは「文系、理系は問いません。ただ、世の中には数字や画像に置き換えられないものもある、ということを認められる人は東洋医学に向いていると思います」。西洋医学を否定するのではなく、その人に合った方法を使って人を健康にしたい、というのが恐田さんの願いだ。掃除が何より好き、という恐田さんの治療院は、開業22年がたつ現在も清潔感にあふれ、清浄な‘氣’に包まれていた。
微鍼を以て

取材 2014年2月