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フリーランスドクター

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小松原 幸子(こまつばら さちこ)

1974年生まれ 滋賀県草津市出身。
草津市立新堂中学校、滋賀県立膳所高校、関西学院大学法学部法律学科、宮崎医科大学医学部卒業後、宮崎大学医学部附属病院、宮崎県立延岡病院、鹿児島市立病院の耳鼻咽喉科に勤務を経て、2007年よりフリーランスのドクターとして活動している。


以前「しごとびと」に登場した通訳案内士の方から、おもしろいお医者さんがいると紹介され、お話を聞けることになった。
待ち合わせのファミレスに現れたのがフリーの医師、小松原さん。その語り口からは、肩の力の抜けた自然体の人物がうかがえる。
インタビューの合間にシーザーサラダをほおばりながら、絶妙の間の関西弁が笑いを誘う。

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あのとき合格ってなかったら、私は
なにものにもなっていなかったかも(笑)。

 


就活はしたくない

高校時代、理系だった小松原さんは文系に転向して関西学院大学の法学部を受験。理系の中では数学、理科は得意なほうではなかったけれど、文系の大学を数学で受験すれば有利になると考えた。とにかく大学生になりたかった。入学すると世間がイメージする楽しいキャンパスライフを満喫。勉強も普通にした。でも、『就活はしたくない』。そもそも何のビジョンももたずに入学して、その後も何のビジョンも開けることはなかった。リクルートブックを眺めてみたが、自分には何も秀でたものも資格もない。あるのは自動車免許と卒業したらもらえる学位だけ。「もう一回大学に行こっ。そやけど、親に許しをもらえる学部にせなあかん。そういえば昔は医学部志望やったし、医学部ならええか」。そう決めたらあとはやるだけ。大学4年生だった1年間でセンター試験をクリアするところまで漕ぎ着けた。しかし、2次試験の学科試験の学力は微妙なライン。「当時、2次試験にディベートだけを課す大学を見つけたんです。ついていましたね」

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そのタイミングがあっただから辞めてみた

どの診療科でも選べる医師免許。せっかくなら手術のある科を選びたかったが、外科は長引く手術も多い。若いうちはいいが、年を取ったら女性には厳しいかなと考え、当時所属していたクラブの先輩方の誘いもあり耳鼻咽喉科を選択。そして大学の医局に入局した。予想はしていたが、忙しいのなんの、その忙しさは研修医時代から凄まじいものだった。「いつのまにか、その忙しさが当たり前になっていましたね。なんだかなぁという思いもありました。でも医局を辞めることはしがらみが多くてなかなかできないんです。それこそ、開業するとか結婚するとか、大病を患ったりとかの理由しかないんです」。そんな折、上司にあたる医局長の教授が交代することになった。『辞めるなら今しかない』。思い切った小松原さん。「半年は遊べるかな」と当初あてにしていた退職金はハワイ豪遊1週間で底を着く。そそくさと再就職口を探した。想定内か、運よくか、非常勤の職は見つかった。今は、月曜日と火曜日にそれぞれ違う病院で勤務している。

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私の人生、偶然に偶然が重なりまくっているけど、
こうしようと決めたら、しつこいんです。

 


自由人、風と遊ぶ

ある日のこと、仕事終わりに飲みに行った店の常連客にヨットに誘われたことがあった。『楽しそう』と好奇心をくすぐられた。「はりきって、その日のために水着を買って着ていったんですが、まわりはラフなポロシャツに短パンで…(笑)」。海上を風に乗って進む爽快感といったヨットの魅力を体感することができた小松原さん。時間ができた今、遊びのフィールドは空へも広がっていく。10日間の休みを10回とってアメリカでヘリコプターの免許も取得した。「非常勤だと仕事の調整がわりときくし、まぁ、パートのおばちゃんですから(笑)」

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私、こうしようと決めたら、しつこいんです

ヨットチームのつながりもあり、月曜日に勤務しているのが加治木にある病院だ。また同じつながりで航空機の輸入関連の人とも知り合いになり、その人から「加治木は空港に近いから航空身体検査をやったらいいやん!」と勧められる。パイロットの資格取得者には、仕事内容や年齢に応じて定期的に指定された身体検査を受け、航空身体検査証明を義務づけられている。航空身体検査証明を行う権限を与えられているのが航空身体検査指定医だ。自分でいろいろと調べた後、非常勤で勤めているその病院の院長先生に相談すると、「是非、やってくれ!」と返事をもらい、すぐに航空身体検査指定医の資格を取得。「私、こうしようと決めたら、しつこいんです」。その病院が航空身体検査指定機関となった。小松原さんもヘリコプターの免許を持って空を飛ぶという経験があるからこそ、検査を受けるパイロットたちもお互い言葉を介さずとも何か感じるものがあるのかも知れない。その後、鹿児島市立病院が移転に伴い航空身体検査指定機関から撤退したり、近くの第一工業大学で航空工学科パイロットコースが新設されたりといった幸運も重なり、今では、その病院の一つの事業になっているという。
若い頃を振り返りつつ「あのとき、あのタイミングで医学部に受かっていなかったら、私はなにものにもなっていなかったかも。ずっと落ちまくって(笑)」と話す小松原さんだが、その生き方は運も引き寄せ、さらに自由も向こうからやってきそうな力強い生き方に映る。海原を滑るように走るヨットのように彼女の航海は続く。

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取材:2016年9月