高校教諭

山内 昭人(やまうち あきひと)

1972年生まれ 鹿児島市出身 坂元中、武岡台高校、鹿児島大学教育学部卒業。平成8年高等学校保健体育教諭として教職に就く。甲南高校、屋久島高校での勤務を経て、平成18年鹿屋高校に赴任。現在に至る。

"私たちの仕事は教育の『育』の方です。
人を育てる、生きていく力を育てる"

西日の差し込むグラウンド。元気なかけ声と、カキーンと金属音の鳴り響く中、練習に打ち込む野球部員たちの姿。私たちに気づくや、彼らはみんな正面をみて、足をそろえ、「こんにちは!」清々しい挨拶で迎えてくれた。私たちも一気に気が引き締まる。

部活の顧問

中学時代のビジョン

山内さんは体育教師、そして野球部の顧問でもある。部員たちに練習の段取りを指示したあと、私たちを三塁側のベンチに案内してくれた。さっそく教師を目指したきっかけを伺うと「野球がしたかったからです」満面の笑みで即答した。「小学校時代から少年野球のチームに入っていました。そのチームは強豪で、先輩にも後輩にもプロ野球選手になった人がいるんです。私自身、人一倍努力しましたが、当時それほど練習をしていないようにみえる彼らに全然かないませんでした。彼らのような人たちが本格的に練習をつんでプロになっていくんだなと思いましたね。私は中学時代でプロの道は諦めました(笑)」同時に野球をずっと続けていくにはどうすればいいだろうと考えたという。中2の頃にはすでに、大学に進み教育学部保体に進学しようと決めていた。高校教師となり、野球部の監督になるビジョンがあったのだ。「私は武岡台高校の一期生なんです。野球部に入ったもののグランドは石ころだらけで、とても野球ができる状態じゃなかったんです」1年のときはグラウンド作りばかりの地味できつい毎日。勉強の方も中学とは桁違いにハードになる。2年になって下級生もでき、部員も増え、そして3年の春はベスト4まで進んだ。いよいよ最後の夏。結果は一回戦敗退。「絵に描いたような不完全燃焼でしたね」それは、いつか監督になって甲子園に行くと強く決意した瞬間でもあった。

部活の顧問

鹿児島大学教育学部中学保体に進学。狭き門である高校の体育教師を目指す。3回目の教員採用試験で晴れて合格。最初の赴任先である甲南高校、次に屋久島高校、そして、現在の鹿屋高校、今年で16年目である。こんなエピソードがある。「屋久島高校では野球部の部員9人。バントもスクイズも知らない生徒が何人かいて、球を打って3塁に走り出す生徒もいました。唖然とする私にその子は言いました。『だって先生は、一塁に走るって教えてくれていません!』そこは謝るしかなかったですね(苦笑)」山内さんは、はじめはよそ者扱いで、なかなか受け入れてもらえなかったというが、部活の指導を通して少しずつ信頼関係を築いていく。ある時期、生活指導で多忙を極め、部活に顔ひとつさえだせなかったことがある。部員たちにつめよられ『先生、おれたちを見放したね』とまで言われた。そこまで生徒たちは山内さんの存在を必要としていたのだろう。

一芸に秀でる

生きる力を育てる

高校時代は大人のこころと体になる最後の段階。非常に大切な時期だ。体育教師はそういう部分を含めた『生活指導』がとても重要な仕事になるという。「私たちの仕事は、教育の『育』の方です。人を育てる、生きていく力を育てることです。挨拶、規律、自主性、責任感。そういうものを運動や学校生活の中で指導し、生徒たちがそれを体得していく機会をつくることです。体育祭やクラスマッチ、修学旅行などの大きな行事だけでなく、登下校、昼休み、掃除の時間、部活動、どれをとっても勉強以外で生徒たちが学ぶべきものはたくさんあります。私の場合、野球部の部員たちにまず『生活指導』を徹底します。彼らには周りの生徒たちの手本となってほしいという思いがあるんです。厳しくして嫌われてもいいんです。でも記憶に残る、そんな先生でありたいですね」

一芸に秀でる

体育の先生は、陸上・水泳・球技などすべてのスポーツを経験して、高いレベルで競技できないといけないのだろうか。その問いに山内さんはこう話す。「体育の授業をする教師として、あらゆる運動やスポーツの理論、基本的ルール、そして危険の避け方は知識として持っていなければなりません。しかし、体育教師の資質はオールマイティでなくても『一芸に秀でている』こと。一芸に秀でるまでのプロセスを教師自身が経験していれば説得力がありますから。あと、『気持ち』ですね。運動嫌いの生徒やスポーツは苦手という生徒たちもいますが、『体育が楽しみ』と思ってもらえるように心がけています」

高校生の可能性

野球を職業として強く意識する若者のなかには、名門私立高校に県外留学をし、甲子園出場、甲子園優勝を果たしてプロに挑もうとしている選手も多い「うちの部員たちにもよく話すんですが、そんな私学のチームに勝つのは非常に厳しいと。おまえたちは中学卒業してすぐ実家を離れて、野球に人生を賭ける覚悟はないだろうと」それでも6年前、ただ野球が好きという少年たちを率いた山内さんは、甲子園をかけた決勝戦まで勝ち進んでいた。この時は野球を楽しもうという気持ちから、甲子園という言葉を口にしなかった。しかし、今はそれが悔やまれるという。「高校生の可能性は非常に大きい。のびしろが大きいのです。あの時もチャンスが一気に膨れ上がったんですが…。勝つことの意義は本当に大きい。負けることも人間教育と口にすること自体、まだ自分には甘い部分があるんです。この子たちの目標が甲子園出場なら、今年は甲子園を意識させたうえで戦いたいですね。甲子園に出場できたら監督を引退します(笑)。これまで、ここ一番の勝負に負けると、勝たせてやれなかった悔しさに涙がこみ上げ、もう辞めたいと思うんですが、教え子たちに『自分も体育の教師を目指して頑張ります』とか言われると、嬉しくてですね。おかげでここまでやってこれています」そう話してくれた山内さん。生徒と向き合いつつ、その自主性を引き出す手腕は、今後ますます磨きがかかっていくにちがいない。

中学時代のビジョン

取材 2012年6月 No.7 しごとびと