パティシエ

吉国 奈緒美(よしくに なおみ)

1970年生まれ 鹿屋市出身 第一鹿屋中、鹿屋高校、鹿児島純心短期大学食物栄養学科卒業。その後、東京「エス・ワイル」で3年、スイスやフランスの菓子屋、レストランで3年修業。帰国後1996年、26歳のとき鹿屋市西原に「菓子工房 ボンヴィヴォン」、2008年同市大手町に「リナブランチ店」をオープン。現在一児の母。

" 香り、甘さ、食感。頭の中で味見をするんです "

「とにかく食いしん坊なんです。食に関して貪欲なんです」取材が終わるまで何度「食いしん坊」を耳にしただろう。颯爽と私たちの前に現れ、終始笑顔の吉国さんに仕事のこと、そして、お菓子への想いを語っていただいた。

自分との約束

頭の中で味を作る

「将来、パティシエを目指す女性の手本になれればと思っているんです。今でこそ、女性の料理人やパティシエは増えてきていますが、それでも、結婚し子育てをする女性にとって職人といわれる仕事のハードルは高いですね。私自身、女性がパティシエとして活躍できる場を提供していけたらと思っています。」お菓子職人、そして経営者として2店舗をきりもりする吉国さん。電気店を営む両親の背中を見て育ってきた彼女は「商売人の血が流れている」と自身でも感じている。子供心にも「そこ謝らなくていいのになぁ」と思う親の姿があったが、お客様の喜ぶ顔がみたいという気持ちの方が優先する論理、それが今わかるようになった。職人としての醍醐味はやはり新商品の開発だという。「季節ごとに5~6品はスタッフの総力を集め新作のお菓子を出しています。何十回と試作を重ねることもありますが、たいていは、ルセット(配合・レシピ)を頭に入れると味や食感が湧いてくるんですよ。いったん頭で味を作るんです」このクリエイティブな局面で、パティシエの資質の差が歴然になるという。新しくものを生み出すには、お菓子作りの経験や情熱はもとより、今までどれだけのものを味わってきたかが勝負となる。

笑顔に包まれるお菓子

一年のうちで最も多くの人がケーキを食べる日、それはきっとクリスマス。「9月には、その年の傾向を考えながらアイデアを出し合い、企画作りに入っています。予約が12月24日に集中するため材料、飾り、箱などは過不足がないよう数ヶ月前から発注しておきます」クリスマス前日から当日にかけて、スポンジ作り、イチゴのヘタ取り、スライス、生クリーム立て、ナッペ、デコレーション、箱詰め、各々がひたすら仕事に打ち込みつつも、時間を区切って全体で調子を合わせ、チームワークで進めていく。「子供の頃、クリスマスにケーキを囲みワクワクした気持ちは大人になっても忘れないものです。そんな笑顔に包まれるお菓子を作りたくてパティシエになったんです」

笑顔に包まれるお菓子

自分との約束

短大卒業後、修業の場所は東京と決めていた。世界の物と情報が集まる場所。就職先のフランス菓子店で、見習いとして雑用を任される傍ら、職人の厳しくも美しい世界を肌で感じた。休日は世界をリサーチする名のもと食べ歩きを欠かさなかった。3年で資金を貯め、海外へ渡る。しかし、そこでは、お菓子文化の高さに圧倒され、職人魂の奥深さに触れ、自分の小ささを知り、自信をなくしかけていた。「気持ちをリセットしようと思い、帰国を決めました。でも、お店を持つという自分との約束は生きていました。フランス帰りという妙なプレッシャーもありましたし、自信があったわけでもないのですが、今やるしかない、今やりたい。そう思ったんです」フランス菓子店を地元にオープンさせた。

旅立ち

子どもの頃からお菓子作りが大好きだった。近所に赤い屋根のかわいいケーキ屋があり、手伝いをさせてもらいに通っていた。「いつか自分もこんなお店を持ちたいな」それは幼い記憶だ。大きな転機は高校3年の担任の言葉だった。「吉国、おまえなら家政科だろう」学科をベースに進路を意識したことがなかった彼女は「食の勉強ができるんだ」と進学に意欲を出す。短大時代、ホテルの厨房での実習があった。そこで「本物の料理人」の空気感を全身で味わう。この体験を機に「自分の店」を形にしたいと決心した。「パティシエになりたいんです。東京で修業したいんです。」女性で菓子職人の求人などなかった時代。ゼミの教授が奔走し、何とか就職口がみつかる。いよいよ修業が始まろうとしていた。東京へと旅立ったあの日、胸に秘めた思いの強さを誰が知っていただろう。

取材 2011年11月 No.6 しごとびと