メイクアップアーティスト

メイクアップアーティスト

ヒラノ マリナ

1981年生まれ 鹿児島市出身 鹿児島大学教育学部附属中学校、鹿児島純心高等学校、山野美容専門学校、東京のヘアメイク事務所を経てニューヨークでフリーのメイクアップアーティストとして活躍の後、2009年に帰国。同年にMar Unitedを設立し、鹿児島と東京を拠点に活躍中。

"女性の持つあるがままの魅力を開放する"

鹿児島出身で、世界を舞台に経験を積んだメイクアップアーティストがいる。ヒラノマリナさん。東京、ニューヨークと活動の舞台を広げてきたヒラノさんに、お話を伺った。

救ってくれた母の言葉

ヒラノさんは柔らかな口調で、生い立ちを語りはじめた。「とても元気な学生時代を過ごしました。クラスのみんなの前で率先して歌を歌ったり、絵を書いたり。自分の想いが強いあまり、先生とぶつかることも多かったです」決して優等生とはいえなかったヒラノさんの転機は、高校卒業後に進学した東京の美容専門学校での一つの事件。「クラスの中でお金がなくなる事件があったんです。当時授業を休みがちだった私は、クラスのみんなから犯人だと疑われてしまいました。それまで集団を引っ張る立場だと思っていたのに、急に皆から非難される立場になって・・・」初めての東京での一人暮らし。無実の罪を負ってしまったヒラノさんを救ったのは、お母さんの一言だった。『あなたの姿勢で無実だったと証明しなさい』という言葉に、気持ちを入れ替えて猛勉強。無事に2年で美容師免許と着付師の資格を取得する。

救ってくれたのは母の一言

下積み時代

美容師免許を取っても、すぐに独立できるというわけではない。ヒラノさんは東京のヘアメイク事務所でアシスタントとして修行しながら、自らの腕を磨いた。「アシスタントのうちは報酬も少ないので、やりくりしながら自分の技術も磨くことが求められます。私も、いろんなチャレンジを試みました。新宿歌舞伎町にあったコマ劇場前で、ストリートメイクを500円でやってみたり。いろんな形で自分の腕を磨きました」徐々に腕を上げたヒラノさんは3年の修行期間を経て23歳で独立。フリーのヘアメイクアーティストとして活動を始めた。仕事は広告用写真や、コマーシャル、雑誌などのメイク。一流のモデルを相手に、裏方としての気遣いや、多様な現場の経験をつむうちに、少しずつ仕事も増えていく。

下積み時代

街は自信に満ちあふれて

仕事が軌道に乗り始めた25歳のとき、単身ニューヨークに渡る。渡米は小さい頃からの目標の一つだった。語学学校に通いながら、少しずつこの街を楽しもうと思っていたところ、友人の紹介で雑誌の仕事を手伝わないかという声がかかる。『念のため』と持っていっていたヘアメイク道具は、渡米3ヶ月にして出番を迎えることとなった。夢にまでみた本場ニューヨークでのメイクの仕事。ヒラノさんにとっては衝撃の連続だったという。
「ニューヨークの現場は、 フォトグラファー、スタイリスト、モデルが、 それぞれ自分の仕事に自信を持って、しっかり自立して仕事をしているように思えました。世界中からたくさんの人が集まってきているので、1つ1つのチャンスをつかむためには、『自分の得意なところ、できること』を、深く見つめて、磨く努力をしないといけません。私自身、ヘアメイクとして、『私にできる得意なこと』をいつ聞かれても答えられるように、自分の中で大切にするようになりましたね。それまでの私は、常識や固定観念に捉われて、 とても窮屈な思いをしていたと思います。それが解放されて、『こんな方法もあるんだ』『こんな考えの人もいるよね』などと、何事にも、誰にでも、可能性がたくさんあるということを教えられました」   

鹿児島は美人の宝庫

そして今、ヒラノさんは東京と鹿児島でメイクを中心に多様な分野に取り組みを広げている。鹿児島で培ったバイタリティと、東京で積み上げた技術と、ニューヨークで磨いたセンスを武器に、次なる舞台としてヒラノさんが選んだプロジェクトは『鹿児島美人計画』。これは、鹿児島の美しい女性の、あるがままの魅力を開放する取り組み。世界を見てきたヒラノさんにとって、鹿児島は美人の宝庫だという。そんな鹿児島の女性の美しさを丁寧に引き出し、世界に発信すること。そのための取り組みが着々と進んでいる。2012年には、鹿児島の地域資源を活用した新たな化粧品ブランドを立ち上げ、鹿児島の美を世界に発信するための新たなステップを踏み出した。
ヒラノさんの表情は透明感に溢れ、視線はどこまでも暖かい。女性の美を引き出す仕事、その奥には鹿児島の女性の強さと優しさが溢れていた。

鹿児島は美人の宝庫

取材 2013年9月 No.12 しごとびと