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気象予報士

気象予報士

住吉 大輔(すみよし だいすけ)

1969年鹿児島市生まれ 鹿児島南中学校、甲南高校、早稲田大学法学部を経て、1991年 株式会社南日本放送入社。 4ヶ月の報道記者体験を経て、ラジオ制作部へ。1995年に気象予報士試験合格。現在はラジオ制作部長。

"たとえば「総雨量が700ミリを超える大雨」
この言葉の持つ意味を的確に伝えたい"

大切なイベントや、日々の移動手段など、その日の天気で私たちの一日は随分違うものとなる。天候による災害も多発する日本。特に鹿児島は災害のデパートといわれるほど、天候の影響を強くうける。そんな土地で、日々の天気をラジオで伝えているのが気象予報士 住吉さんだ。

ぶらっと旅に

小学校の頃から、自然や地理、歴史などいろんなことに興味を示す子どもだった住吉さん。特に自然科学には強い関心をもち、天文学者に憧れ、中学生の頃には天体望遠鏡で空を眺めるようになった。そんな住吉さんは高校入学後、理系科目で大きくつまづく。「何となく、合わないなあと感じ始めたんです。ちょっとした挫折体験ですね」理系学部への進学を断念。将来を考えて、いろんな可能性がありそうな法学部を選んだ。東京での大学時代には日本国内のさまざまな地域を旅行したという。「旅行のほとんどは『あて』もなく、時間ができたらブラブラ~って感じで(笑)」そんな旅先で惹かれたのは、いわゆる観光名所ではなく、その地域の人たちの方言や、その地元独特の生活だった。地域の持つ独自性や、田舎の持つ温かみに触れ、卒業後は鹿児島で働きたい、鹿児島という地域と繋がる仕事をしたいと考えるようになった。地元のマスコミは理想の就職先の一つだった。

ぶらっと旅に

「8・6豪雨水害」

入社して配属されたのは、ラジオの制作を行う部署。仕事に慣れ始めた入社2年目、仕事人生を大きく左右する災害が発生する。1993年8月6日、いわゆる「8・6水害」。一夜にして49人の死者・行方不明者を出した国内でも最大規模の豪雨災害である。放送局自体も浸水の危機に直面し、急遽(きゅうきょ)社内に土嚢(どのう)を積みながら夜を徹して報道にあたる中で、気象現象を的確に、適切に伝えることの大切さを自らが痛感した。「当時は、『総雨量が700ミリ』という言葉がどれだけの規模を示すのか実感をもって伝えられていませんでした」住吉さんは一つ一つ、丁寧に言葉を選びながら続けた。「あのとき、事前の気象情報が意味するところを、伝える側の人間として十分に認識していれば、もっと違う報道ができたのかもしれません」

8・6豪雨水害

県内最初の民間人、気象予報士

翌1994年、日本に「気象予報士」資格が誕生する。それまで気象庁および各地方の気象台のみの業務であった気象予報を、業務として行うプロを育成・認定するという資格だ。「もともと気象などの地学分野は好きでしたし、もちろん8・6水害を経験したこともあり、チャレンジすることにしたんです」早朝6時30分からの番組を担当するためには、朝5時半には局に入る。そんなハードな日程の中、働きながらの受験勉強が続いた。「様々な天気図を使う問題は、出題者の意図を読み解くことが出来るようになってから手ごたえがつかめるようになりましたが、高度な計算が求められる問題は最後まで苦戦しました」当時合格率10%程度といわれていた難関試験に、2回目のチャレンジで合格。鹿児島県内で初の民間人気象予報士として注目される存在となった。

メッセージが力をもつように

メッセージが力をもつように

気象予報士といっても、職業によってさまざまな役割がある。放送局に勤める住吉さんの場合は、気象庁が発表する『情報』を、伝わるメッセージに翻訳することが最大の役割。そこには通常のアナウンサーがニュース原稿を読むのとは違う意味がある。住吉さんは、本当に必要なときに必要な情報を伝わる形で伝えたいという。「たとえば鹿児島は災害のデパートといわれるくらいに自然災害の多い地域ですが、一方で、毎日危機感をあおるような番組作りをしても、おそらく日常的に聞いてもらえるような番組にはならないと思うんです。だからこそ、いつもはリスナーに共感を持って聴いてもらえる番組作りを心がけ、本当に危険な状況のときに必要な人に必要な情報が届くように意識しています」普段は四季の暦にまつわる雑学や、干支に関する豆知識などを織り込んだ『聴いて楽しい天気予報』になるようにと住吉さんは話す。そんな日常があるからこそ、真剣な声で危険を訴えるときのメッセージが力を持つと信じている。

取材 2013年6月 No.11 しごとびと