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Jリーガー

ターニングポイント

八反田 康平(はったんだ こうへい)

どこにチャンスが落ちているか分からない。
それを活かすためには、
目の前のことに真剣に取り組むしかない。


鹿児島市中山にあるグラウンドにやってきた。冬の匂いもまだ漂う中、胸のすく青空のもとに一面の青い芝が映える。あちこちで練習に打ち込むプレーヤーたちの声が響く。この中に鹿児島出身のJリーガーがいる。八反田康平選手。清水エスパルスのMFだ。
見渡すと全国の報道関係者がこのキャンプを取材している。

 

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2月の鹿児島には多くのプロスポーツチームがキャンプにやってくる。Jリーグの清水エスパルスもそのひとつ。「チームの中で一番ボタンダウンのシャツが似合う!」とチームの関係者から親しまれている八反田さん。午前練習とその後のバス移動のわずかな合間にお話をきくことができた。サッカーとの出会いを聞くと「2歳上の兄がいて、一緒にボールを蹴って遊んでいました。幼稚園でもサッカースクールがあって、そこで教えてもらっていた先生のクラブチームに誘われて、小1から本格的に習い始めました」。


ターニングポイント

「中学の時に塾で受験勉強をしていたら、親から電話がかかってきて『クラブチームの監督から連絡があったんだけど、日本代表に選ばれたんだって!。1月には香港に行くからパスポートをとりにいくよ!』って言うんです」。中学のクラブチームで全国大会に出たとき、八反田さんのプレーが関係者の目にとまった。U-17の代表を立ち上げるための最初のチームであるU-15の選抜合宿に招集されたのだ。「あの日の電話がぼくのターニングポイントでした」。そうはっきりと言った。中学で名を挙げた選手の多くは、高校ではサッカーの有名校へと進む。ところが当時、「自分のプレースタイルがだんだん分かり始めていて、それはフィジカル重視の有名校のスタイルとは違いました」という八反田さんは進学校でも県大会にベスト4までいける高校があることを中3で知り、そこを目標とし、そして進学した。

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オファーはあったが

文武両道しか道のない高校時代でも引き続きその世代の代表に呼ばれていた。卒業時、Jリーグの複数のクラブからオファーがあったというが、「このままいって通用するのかなというのが正直な気持ちでした」。プロ選手になるためにもっと経験を積み、技術的に成長したい、引退後は高校教師になりたい、この2つの思いから大学進学を決めた。小さい頃からJリーガーになりたいと思っていた八反田さん。華やかな舞台への道が目の前にあるのにすぐ飛びつかず、自分を客観的に見つめ広い視野をもって目の前のことに取り組むという姿勢は、今の彼のプレースタイルとも重なる。取材当日、チーム専属のライターが横に来て言った。「彼は玄人好みのするプレーをするんです。相手の攻撃の芽を摘むポジショニングだったり…」。八反田さん自身も言った。「憧れの選手は同じ地元の遠藤選手です。広い視野、そしてパスはすごいです」。

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プロとしての思い

他の選手たちがバスで移動するのを先に帰し、話を続けてくれた八反田さん。自分の経験を次の世代の人たちへ少しでも伝えたいという思いが強かったのかもしれない。プロになってからの違いは?の質問に「重みが違います。サッカーが好きというベースは変わりませんが、背負っているものが違います」。自身のプレー、チームの成績、サポーターからの評価、自己管理。すべて言い訳なしにプロのプレーヤーが責任を負う部分だ。昨シーズン、Jリーグ発足以来J1に在籍し続けた名門クラブ清水エスパルスはJ2に降格した。今年はJ1復活をかけた正念場のシーズンとなる。最後に日本代表への思いを聞くと「サッカー選手ならだれしも目標としています」。終始さわやかなその表情のなかにチャンスを狙うプロの魂を感じた。

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取材:2016年2月