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デベロッパー(駅ビル管理運営)

常に人を感じていたい

本田 ちひろ(ほんだちひろ)

 

―デベロッパーという仕事について

毎日、欠かさず行うのは館内の巡回です。各テナントショップのスタッフとこまめにコミュニケーションを取ることで、売上や接客やサービスなど、さまざまな情報を共有することが1番大切なことです。また、テナントに対してお客様からのクレームがあった時は、ショップスタッフと一緒に解決策を考えていきます。その他、インフォメーションやショップスタッフに対してサービス推進のための教育を行ったり、館内イベントの企画などもしています。日々のワークスケジュールは流動的で、館内の状況に臨機応変に対応し、会社と各テナントを繋ぐ架け橋のような存在です。

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―苦難続きの2年目、辛かったけど1番自分を成長させた。

いろんなお仕事を任せていただけるようになったんですけど、自分のやりたいことを誰に伝えて、どう動けば良いのか・・・「仕事のやり方」が全くわからなくなってしまいましたね。上司に怒られてばかりで、とにかくどうしたら良いか分からない毎日で、こういう状況の中で日頃美しいと思うものをそう感じなくなったり、ワクワクするはずのものに対して何とも思わなくなってしまったり、徐々に自分の感情のアンテナまで狂ってしまって・・・。これは本当にまずいぞと思いましたね。

 

―苦しい状況に悩む本田さんを支え続けてくれた職場の先輩や仲間、家族・・・・。

なかでも本田さんを1番救ってくれたのは母の言葉だった。

母は決して甘い言葉はかけてきませんでした。私の歩幅に合わせた言葉をその都度かけてくれて、中でも「石の上にも三年」という言葉はとてもありきたりな言葉のようですが、これほど自分の身に染みる言葉はなかったですね。母の「今は苦しくても、とりあえず3年は続けてみたら?今がそれだけ苦しければあとは上っていくだけ。続けてみたら何か見えるかもよ。」という励ましの言葉は本当にその通りでした。

 

―苦しみ抜いた2年目。その先に広がっていたのは・・・。

特に感じたのは、自分は信頼できる素敵なパートナーさんに恵まれているなということです。苦しい中でも人との関わりを絶やさずにいたことが、仕事のエンジンとなって良いサイクルを生み出していったと思います。そこからは仕事が楽しくて仕方ありませんでした。2年目はつらかったけど3年目には本当に素敵な景色が広がっていました。そしてこの2年目を経験したことで、多少のことではへこたれなくなりました。当時、私を鍛えてくれた上司にも本当に感謝していますし、今でも迷った時は「あの人だったらどうするかな」と考えて行動しています。

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―今の仕事が好きでたまらない

自分自身、人と関わり、人を感じながら仕事をすることですごくモチベーションが上がりますし、仕事をしていて幸せだなと感じることはたくさんあります。中でも印象的なのは販売促進課を離れる時のこと。CMや広告制作を担当していたのですが、最後のお仕事を終えた時、スタッフの皆さんがサプライズでメッセージムービーを作ってくれていて・・・。もう嬉しすぎて言葉になりませんでした。どんな仕事でも、そこには必ず人がいるんですよね。最終的にはどんな仕事も「人と人」。どんな仕事であっても常に人を感じながら仕事をしていたいし、取引先の方でもお客様でも人との関係を常に大事にしていたいです。

 

 ―学生へ向けて

就活は人生の中での1つのイベントだと思います。限られた時間で人生の道を決めるのは大変だけれども、1人1人の人生なんだから、就活という地点で止まらないでほしい。自分の「好き」をたくさん見つけてやりたいことにどんどんチャレンジしていけば必ずマッチするものがやってくる。そして1人で悩んでないでいろんな人にあって話をする。それによって悩みが整理されていって自分が今どういう立ち位置にいるのかがわかってくる!まず、動こう!話そう!

 

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―アミュプラザ鹿児島の立ち上げから今まで、ずっとチャレンジを続けてきた本田さん。まだまだやりたいことはたくさんあると目を輝かせて話す姿からは仕事や人への大きな愛情を感じた。鹿児島の中心にたたずむ駅ビルアミュプラザ鹿児島から本田さんがこれからどんな仕掛けを起こしていくのか、ワクワクがとまらない。