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タレント

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半田 あかり(はんだ あかり)

1984年生まれ 大阪市出身。
東住吉中、西浦(現羽曳野)高校卒業、阪南大学国際コミュニケーション学部中退。松竹芸能所属。現在、同事務所に所属しながら鹿屋市役所で「かのやオフィシャルサポーター」として活躍中。


かのやオフィシャルサポーターとして活躍している半田さん。テレビやイベントで知っている人も多いのでは・・・。
大阪出身という半田さんのお話を伺いに鹿屋市役所を訪ねた。

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とにかく目の前のこと、
何でも手を抜かず一生懸命取り組んできました!

 

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縁もゆかもない鹿屋へ

半田さんの名刺には、名前の他に『かのやオフィシャルサポーター』『地域おこし協力隊』、そして『鹿屋市役所農林水産課』、さらに『〈派遣元〉松竹芸能株式会社』と文字が並んでいる。半田さんが鹿屋で働いているのは、以前この紙面でも紹介した鹿屋市の副市長をはじめ市役所の方々のスカウトがキッカケだ。
「当時、大阪でレギュラー番組も何本か出させていただいていたんですが、市役所の偉い方々に何度も足を運んでもらって、さらに芸能事務所で必死にプレゼンテーションをされる姿を見て(笑)、行ってみようかな」
と思ったとのこと。その背景に、ご両親からの、『大きい箱より小さい箱を選べ』とか『条件の良い方より悪い方を選べ』といった教えの影響もあったのだという。かくして、地域おこし協力隊という制度で鹿屋市役所の農林水産課に席が設けられ、鹿屋市オフィシャルのサポーターとしてイベントやテレビ・ラジオで鹿屋市をPRする仕事に就くことになる。

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モデルから芸人へ

半田さんは、高校生の時にモデルとしてタレント業をはじめる。その後、大学を中退し一旦アパレル業界に就職するが、その間もモデル事務所に所属しながら続けていた。26歳の頃、もっと自分をさらけ出したい思いにかられ人間味のある芸人になろうと松竹芸能に移籍し、芸能活動を続けていた。
「とにかく目の前のこと、何でも手を抜かず一生懸命取り組んでましたよ」
自分で達成感が得られてはじめて、それを続けるか続けないかを決める。決して中途半端に方向転換しないというのが半田さんの生き方だ。
「市役所の方々が、事務所に来てくださった頃、ちょうど取り組んでいた番組などの仕事に対して、続けようかどうしようかと思ってた時期と重なってたかもしれませんね」
半田さんは鹿屋行きを決断する。

 

イベントの企画立案、制作、出演まで、
自分で全部やっちゃえ(笑)

 

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イベントの企画・制作そして出演

はじめて鹿屋にやってきて感じたのが・・・就任式での記者会見で、
「段取り→できてない!人→足りてない!(汗)」
それまでの、プロデューサー、ディレクター、アシスタント、他にもカメラマン、音響、照明などといった仕事に、それぞれ専門の人たちがいた環境との違いに戸惑ったという。そこで、
「じゃ、イベントの企画立案、制作、出演まで、自分で全部やっちゃえ(笑)」と。
普通、そうなると周りから反発されそうなものだが、半田さんは自分の感じる多くの違いを受け入れて、歩み寄るところは歩み寄り、持ち前の明るさや気配りで周囲の人たちに心地よさを与え、協力を引き出している。
「やりたいことが出来ない、やりたいことをやらせてもらえない」といった言葉を若い人たちから聞くことがある。そんな人たちにとって、半田さんの「まずは、やりたいことをやらせてもらうための環境づくり!」ということを自然体でこなす姿は、参考になるのではないだろうか。

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不安も感じる

何ごとにも前向きで、どう見られているかを意識しながら、経験してきたことを何でも自分の肥やしに変えてきているように見える半田さんにも、不安はある。
「次も、契約を延長してもらえるかどうか」
先のことを考えてしまうと頭の中がこんがらがるという。
「何歳になっても現在進行形、目の前のことに集中して一生懸命に取り組むしかありませんね」
その言葉には、仕事を単にやらなければいけない作業と考えるのではなく、
「もうちょっと!もうちょっと何とか良くすることは出来ないか」
という気持ちが込められる。
先日、半田さんの派遣先である松竹芸能の社長さんが鹿屋に来られたという。半田さん曰く、
「大阪ではお会いする機会すらなかった方です(笑)」
鹿屋に新しい風を吹き込む半田さん。「かんぱち婦人」として今日も鹿屋のみんなと奮闘中だ。

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取材:2016年11月